スーパーエンジニア集団=サイボウズ・ラボを設立挑戦者たちの履歴書(46)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、青野氏がサイボウズの社長に就任するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2010年08月30日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 2005年2月、サイボウズ株式会社(以下、サイボウズ)の代表取締役の座に就いた青野氏。早速、積極的なM&A戦略をはじめとするさまざまな施策を打ち出すが、その中にサイボウズ・ラボ株式会社(以下、サイボウズ・ラボ)の設立があった。

 「社長就任後、前社長の方針を引き継いでM&A戦略を推し進めつつも、ぼくの中ではやっぱりサイボウズをソフトウェアメーカーにしたいという思いがありました。ですので、優秀な技術者をもっと採用したいと考えていました。ところが、サイボウズ独特のマーケティング戦略のイメージが強いのか、マーケッター志望の応募者は多いのですが、バリバリのプログラマの応募が少なくて、開発者の採用に困っていたんです」

 そこで青野氏は考えた。サイボウズの技術路線を広くアピールするため、研究開発に特化した組織を立ち上げれば、優秀な技術者の注目を集めることができるのでは……。青野氏は早速、サイボウズの共同創設者であり、同社の開発部門を率いる畑氏に新会社の社長に就任することを依頼。2005年8月、ここにサイボウズ・ラボが設立された。

 「畑に技術者の目利きをして、腕が良いと思われる人材だけを集めてくださいと頼んだところ、もう本当にすごいプログラマが集まりました。本当に精鋭揃いで、これだけの部隊はほかにはないと思います」

 IPAから「天才プログラマ/スーパークリエータ」として認定された国内トップクラスの技術者が次々とサイボウズ・ラボに入社し、メディアでも大きく取り上げられることになった。しかし、メンバーはあくまでも少数精鋭。畑氏の厳しい目利きにパスした、本当にその分野でトップクラスの技術者しか採用されなかった。

 「相当高いレベルの技術者が応募してきても、畑は平気で落としますからね。畑いわく、『いや、あの人はスペシャリティーがないから』ということなのですが、『いやー、厳しいね、ラボ!』という感じですね」

 確かに、サイボウズ・ラボのメンバーを見渡してみると、オールラウンドに開発をこなせる人材というよりは、「この分野だったら、世界中の誰にも負けない!」という確固たるスペシャリティーを持った技術者ばかりだ。暗号化技術であったり、プログラミング言語であったり、あるいはデータベース技術であったり……。そうした、おのおのの得意分野を生かした基礎研究が日々行われている。

 こうしてサイボウズ・ラボの名前は業界で広く知られるようになり、青野氏が目指した「技術のサイボウズ」というアピールは見事に成功したわけである。しかし、ちょっとした計画の狂いもあったという。

 「ちょっと失敗したと思っているのは、ラボを立ち上げた当初は、サイボウズ本社と完全に切り離して、ラボ単体で何か面白いことをやってもらおうと思っていたんです。しかし結果として、それではサイボウズ全体としてうまくシナジー効果が出ませんでした。ですので今は、製品開発に直結する基礎研究もやってもらっています。オフィスも当初は完全に分離していたのですが、今は多くのメンバーが本社オフィスに来ています。じき、全員が合流する予定です」

 当初の目論見が外れたことを率直に語る青野氏だが、この辺りの経営判断も実際には相当シビアなものがあったに違いない。筆者はこれまでサイボウズ・ラボというと、「自由に研究に打ち込める、技術者にとって理想の職場」というイメージを勝手に抱いていたのだが、当然それだけではビジネスの現実と相容れない部分も出てくるのだろう。何より青野氏自身、かつてはプロのプログラマを本気で目指していたほどだから、サイボウズグループ全体の中でのサイボウズ・ラボの位置付けには、やはり何か特別な思い入れがあるのではないだろうか。

 こうして、サイボウズ・ラボの設立も含めた新たな施策を次々と打ち出し、ビジネスの成長を図っていった結果、サイボウズは2006年7月、ついに東証一部上場を果たす。2002年3月に二部へ上場してから、4年以上が経過していた。この間は青野氏にとって、大企業向け製品への挑戦、M&Aによる事業拡大の試み、サイボウズ・ラボの設立と、新興ネット企業から1人前のソフトウェア企業への脱皮を目指してひたすらチャレンジを続けた時期であった。


 この続きは、9月1日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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