ステンマルクの“追っかけ”をしていた大学時代挑戦者たちの履歴書(80)

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、ジュニパーネットワークス社長の細井洋一氏の大学入学までを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

» 2011年01月31日 12時00分 公開
[吉村哲樹,@IT]

 前回も紹介したように、ひたすらスキーに明け暮れる日々を送っていた大学時代の細井氏。毎年7月までは雪が残っているスキー場を求めて全国を飛び回り、オフは8月と9月の2カ月間のみ。10月からはもう、次のスキーシーズンの到来だ。当時の細井氏は、年間150日はスキー場で過ごしていたという。

 苗場で開催されていたスキーワールドカップも、はるばる東京から観戦しに行った。当時のスター選手は、何といってもスウェーデンのインゲマル・ステンマルク選手だ。スキーに興味のない若い読者にとってはなじみのない名前かもしれないが、アルペンスキーのワールドカップで通算86勝を上げた、不世出の名スキーヤーである。当時は、スキーにまったく興味のない人々の間でさえ、その名はよく知られていた。

 苗場までワールドカップを観に行った細井氏は、練習滑走時にステンマルク選手の後を追って滑ったこともあるという。ステンマルク選手のことを知る競技スキーヤーにとっては、何ともうらやましいエピソードだ。また宿泊日の夜には、ステンマルク選手が立ち寄りそうな店を訪ね歩いたりもしたという。

 「今で言うところの『追っかけ』ですね! 今でも、僕の携帯電話の待ち受け画面は、ステンマルクの写真なんですよ」

 これだけスキーに熱中していれば、当然大学の講義に出席する時間など取れるわけがない。結果、大学4年間で取得した単位52個の内、A評価はたったの7単位。しかも、その内4つは体育だった。1年生のときに体育会に所属していたために、自動的に体育科目にはAがついたのだ。そして、残り3つの内の1つが「美術」だった。

 「美術の授業もまったく出てなかったんだけど、たまたま試験の成績が良かったんですよ。でも、この試験のときのことは今でも夢に見ますね」

 美術の試験当日。いつもはまばらな教室も、このときだけは学生でいっぱいになる。それだけ、普段から講義に出席している学生が少ないということだ。ここで出された試験問題が、前代未聞のものだった。

 「次に挙げる3つの似顔絵のうち、講師に最も似ているものを挙げよ」

 教室内が一気にざわついた。普段まったく出席していない学生は、講師の顔など一度も見たことがない。試験のときしか出席しない学生を狙って仕掛けられた、巧妙な罠だったのだ!

 しかし、細井氏は抜け目がなかった。あらかじめ、普段から講義にまじめに出席している女子学生の隣に、ちゃっかり席をとっていたのだ。小声でこっそり、「おい、どれが正解なんだ?」。こうして、数少ないA評価の内の1つを獲得したわけだ。

 こんな調子だったので、4年生になり就職活動を始めた途端、はたと困ってしまった。何せ、A評価が7単位だけでは、有名企業への就職は極めて厳しい。4年間、スキーばかりやって学業をおろそかにしたツケが回ってきたのだ。「はて、どうしたものか……」。

 ここで、細井氏の母親が助け舟を出した。「留学しなさい。たとえ頭が悪くても、英語ができれば、世の中何とか渡っていけるでしょう」。既に紹介した通り、細井氏の母親は長く貿易会社を経営しており、当時としては早くから国際感覚を持つことの重要性を認識していたという。

 「このときのお袋のアドバイスは、本当にありがたかったですね」

 早速、母親の知り合いのつてで、米国メイン州にあるコルビー大学を紹介してもらった。いろいろ調べてみると、とても評判が良い大学だし、何よりスキー場がすぐそばにあるという! 「もう、『行くしかないじゃん』ですよ!」。

 こうして、特修生(Special Student)としてコルビー大学へ留学することになった細井氏。しかしその前に、まずは大学の講義についていけるだけの英語力を身に付けなくてはいけない。そのため、慌てて英語学校に通ってみたが、さっぱり効果が上がらない。「どうすればいいのだろうか……」。困り果てていたところ、また別の人物が手を差し伸べてくれた。現在、スルガ銀行の社長を務める岡野光喜氏だ。

 当時、旧富士銀行(現みずほコーポレート銀行)に勤めていた岡野氏は、細井氏の母親とたまたま仕事上の付き合いがあった。そこで岡野氏に相談してみたところ、米国バーモント州にある英語学校を紹介された。「まずはそこへ短期留学し、英語力を磨いてから大学へ行くのが良いだろう」と。

 こうして、周囲の人々の好意に導かれながら、とんとん拍子に米国留学が決まった細井氏。慶応大学を卒業すると早々に、運命の糸に導かれるように米国へ旅立った。


 この続きは、2月2日(水)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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