ニュース
» 2013年03月14日 18時16分 UPDATE

パーツショップ栄枯盛衰(前編):まだオレらのホームだった「電車男」以前――自作PCの街アキバを振り返る (1/2)

映画「電車男」がヒットした2005年。街の再開発が進み、思えばそのころから“自作の街・アキバ”の空気が変わっていった。当時の空気感を写真とともに振り返ってみよう。

[古田雄介(ぜせ),ITmedia]

ショップの閉店自体は2000年以前から激しかった。しかし……

 2013年3月にユニットコム系列店の統合店舗「BUY MORE」が誕生し、「ツートップ秋葉原本店」と「PC DIY SHOP FreeT」、および先だって1月に閉店した「パソコン工房秋葉原本店」と「フェイス秋葉原本店」が1店舗に同居するようになった。このとき、別の店舗のベテランスタッフは「打ち止め感があるね」とつぶやいた。これで秋葉原にあるPCパーツショップの顔並びが、ある程度固定化するとみているわけだ。

 秋葉原では1990年代からPCパーツショップの栄枯盛衰があり、自作PCブームが今より数段盛況だった2000年前後でも、「Flip-Flap」や「Laser5」などの有力店が姿を消すことがたびたびあった。ただ、閉店以上のペースで新規のショップが開店しており、激しい新陳代謝の下で“自作の街・アキバ”のカラーが保たれていたところがある。

閉店 再編 開店(地域初号店)
2004年 パソコンCity パーツ館 ワンネス
2005年 OVER TOP I/II、ぷらっとホーム秋葉原店舗、パソコン工房秋葉原店(単独店舗) イオシスあきはばら店、ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba
2006年 俺コンハウス ソフマップがビックカメラ傘下に
2007年 PC Success系列店、ワンネス系列店、LAOXザ・コンピュータ館、サトームセン駅前1号店 ソフマップ系列店再編、石丸電気がエディオン傘下に ヤマダ電機 LABI秋葉原パソコン館
2008年 高速電脳、USER'S SIDE秋葉原本店、あぷあぷ秋葉原店 九十九電機が事実上の倒産→ヤマダ電機傘下に
2009年 BLESS秋葉原本店、GENO工房 GENO工房、パソコン工房秋葉原本店(フェイス秋葉原本店と同フロア)
2010年 T-ZONE.PC DIY SHOP
2011年 PC DIY SHOP FreeT
2012年 クレバリー秋葉原店 クレバリー各店が秋葉原店に統合、石丸電気がエディオンにブランド統合
2013年 エディオン秋葉原本店 ユニットコム系列店がBUY MORE秋葉原本店に統合
秋葉原にある主なPCパーツ系ショップの、ここ10年の動き

 そのバランスが崩れてきたのは2004〜5年ごろだったと先のスタッフは指摘する。アキバの姿は、駅前再開発や映画「電車男」が世間の注目を集めた時期に大きく変わり始めた。

 その一方で、PCパーツ業界は全体の勢いに衰えが見えはじめ、閉店したり方向転換したりするショップのペースは変わらないまま、新規参入の気配が薄れていった。その空気感は「LAOXザ・コンピュータ館」や「PC-Success」、「高速電脳」などの老舗ショップが幕を下ろし、「九十九電機」が倒産した、閉店ラッシュの2007〜8年につながる。そしてもちろん、2013年現在のアキバの姿にも。

 それでは、変化の起点ともいえる2004〜5年ごろはどんな空気が流れていたのだろうか。当時の写真をもとに、現在と違う(あるいは共通する)空気感を探ってみたい。街の動きが一段落したとみられるいま、一息入れて過去を振り返ってみる、まあ、ちょっとした道草企画だ。

og_akiba_002.jpgog_akiba_003.jpgog_akiba_004.jpg 2004年の中央通りとパーツ通り

5万円のCPUや1万円のジャンク品が好調に売れたPCパーツ街

 2005年冬、街を行き来する人を対象に秋葉原のイメージについてアンケートをとったところ、「電気街」のポイントが最も高く、「メイドカフェ」「オタク」「パソコン・PCパーツ」「アニメ」「萌え」が続き、大きく引き離されて「家電」「IT産業の拠点」が並ぶ結果となった。観光地化が急速に進み、メイドカフェや“萌え”という言葉が新鮮に響くなかで、パソコン・PCパーツの街という印象は、ごく当たり前に浸透していたわけだ。

 実際、LGA 775対応となった「Pentium 4」や、省電力性の高さが話題を読んだ「Pentium M」オンボードマザー、デュアルコアCPU時代の幕開けを告げた「Athlon X2」などが登場するたび、アキバ全体が盛り上がった。

og_akiba_005.jpgog_akiba_006.jpgog_akiba_007.jpg 2004年初旬は3.5型HDDの主流が160Gバイトだった。2.5型の最大容量だった100Gバイトモデルは4万円弱でも大いに注目された(写真=左/中央)。2004年春に売り切れ続出となったAOpenのPentium Mオンボードマザー「i855GMEm-LFS」(写真=右)

og_akiba_008.jpgog_akiba_009.jpgog_akiba_010.jpg 2004年6月、i915G/Pとi925Xマザー、LGA 775対応Pentium 4が販売解禁となり、PCI ExpressやDDR2普及のきっかけとなった

og_akiba_011.jpgog_akiba_012.jpgog_akiba_013.jpg 2004年ごろはジャンク扱いでも1万円を超える動作未検証のノートPCがザラにあった(写真=左)。ブロードバンド回線はADSLが主流。購入同時契約の割引のポスターもADSLの文字(写真=中央)。2004年のTSUKUMO eX.前。売れ筋モデルの当時の相場が分かる(写真=右)

og_akiba_014.jpgog_akiba_015.jpgog_akiba_016.jpg 2005年4月に登場した初のデュアルコアCPU「Athlon X2」。発売日に各店に人だかりができた(写真=左)。2005年4月に200人近くのユーザーを集めた「Windows XP Professional x64 Edition」の深夜販売。当時の深夜販売の対象はOSのみだったので。CPUやグラフィックスカードが主役になるのはVista以降だ(写真=中央/右)

og_akiba_017.jpgog_akiba_018.jpgog_akiba_019.jpg DVDスーパーマルチドライブが底値になる直前の時代。2層式メディアに対応するドライブが人気を集めた(写真=左)。大阪に本拠地のあるイオシスあきはばら店が、プロ野球で阪神が優勝したのを記念してノリで作った手作り限定ノート。おおらかな時代だった(写真=中央)。2005年末、メモリをストレージとして使うi-RAMが話題に。写真は当時ハイエンドの2Gバイトモジュール4枚をセットにした、T-ZONE.PC DIY SHOP独自の8Gバイトキットモデル。ショップ発のネタが当時から多かった(写真=右)

       1|2 次のページへ

Copyright© 2016 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.