連載
» 2006年09月15日 10時26分 公開

小牟田啓博のD-room:第3回 今だから話せる「au design project」(前編)

数々の魅力的な端末を世に送り出してきたデザイナー小牟田啓博氏が、日常で感じたこと、経験したことを書き綴る「小牟田啓博のD-room」。今回は、「デザインに強いau」というキャリアイメージを確立させた、「au design project」の誕生と成功の秘密に迫る。

[小牟田啓博,ITmedia]

 こんにちは。小牟田です。今回は連載第3回目ということで、「今だから話せる『au design project』」と題して、僕なりの体験談を2回に分けてお話したいと思います。

入社2カ月で20人近い経営陣を前にプレゼン

 以前ここでお話したように、僕が前職のKDDIに入社したのが2001年初頭でした。その当時のケータイは薄型化や機能競争などが重視され、デザインに対する注目度はあまり高くありませんでした。

 そうは言っても、ケータイのデザインに満足しているというユーザーやキャリア内部からの声は聞くこともできず、むしろデザインには不満を持ちつつも、それを声に出して言う人は少なかった。そんな時期です。

 僕が入社するより前に、KDDI内部ではマーケティングに力を入れて行こう、だけども調査して分析して……というだけでは面白くない。なかでも「デザイン」に力を入れてはどうだろうか? といった議論がなされていたそうです。でも、KDDIという会社は通信会社です。専属のデザイナーがいるわけではありません。

 ではどうしたらいいか? 外部からその道のプロに参加してもらっては……! そんな流れで、声が掛かったのが僕でした。簡単に言うと、これが後に「au design project」として成長するプロジェクトの発端です。

 僕はデザインのプロでありモノ作りのプロです。そんな僕が、入社するにあたって文化の違う通信会社で何をしたらいいのかを考えました。携帯電話の端末はほかのプロダクトと違い、モノを買ってくれば使えるというわけではありません。モノと使う環境の間に契約行為が発生するのです。

 そこで行き着いたのが、未来をお客さまに期待し続けてもらう必要があるということ。その上で、現在のモノを手に取っていただく。そういう時系列で考えることが重要になるだろうと考えた訳です。未来に期待しつつ今と付き合う。ここで僕が力を発揮できる仕事といえば、そうです、「コンセプトデザインを作り上げて発表し、お客さまにサービスに対する未来を期待してもらう!」ことです。これが僕が出した方向性でした。

 そして入社とほぼ同時に“コンセプトデザインを作り上げて発表していく”を実現するため、以前から注目していたデザイナーの一人、深澤直人さんに早速声を掛けました。早々に深澤さんとお会いして僕の考え方を一通り説明すると、深澤さんから「僕にもいろいろアイデアがありますよ」とおっしゃっていただきました。ほどなくして出来上がったのが、「INFOBAR」の元となったコンセプトデザイン「info.bar」です。

 入社2カ月もせずに完成したコンセプトデザインを持って、当時新宿にあったKDDI本社の上層階大会議室で20人近い経営陣に対してプレゼンテーションを行う機会を得ました。これがメチャメチャ盛り上がりました。プレゼンが終わったころには、コンセプトモデルの手触りを確かめたり、背広の胸ポケットや内ポケットに挿しては、楽しそうに歓談する出席者を見て、僕はKDDIってすごいポジティブな会社だなぁ! と素直に感激したのです。

 彼らは経営のプロではあっても、デザインに関しては素人。それを素直に表現される方ばかりだったからです。その場は「これを売ろう!」という雰囲気で終始盛り上がって、無事にプレゼンテーションの幕が閉じました。そうはいっても、市販するには次々と出てくる問題が山積みでしたけどね。

「売れない!」と言われてきたボディカラーを投入

 無事にプレゼンが完了したコンセプトモデルは、2001年5月の「ビジネスショウ 2001 TOKYO」で発表されました。これは通信会社が独自にデザインを発表した、業界でも世界初の出来事だったと思います。このときにはまだ「au design project」という名称は存在していなかったため、当時は便宜上「au 200X COLLECTION」として発表しました。

 同年6月の「ビジネスショウ 2001 OSAKA」でも同様の展示を行い、合わせて100名近くだったでしょうか、来場者にデザインのヒアリングを行いました。そのヒアリングでは非常に評判が高かったものの、端末のコンセプトモデル発表という活動自体の知名度はまだまだ低いのが現状でした。当時のZDNet(現ITmedia)さんや日経デザインさんから取材があったほか、学生さんが少し反応した感じでした。

 まずまずの成功を納めたコンセプトモデルの発表でしたが、量産化にはさまざまな課題があって、すぐに市販するという訳には行きません。であれば、もう少し現実的で分りやすいデザインを作る必要があると考えました。また、実際の量産品であるレギュラーラインアップのデザインクオリティをアップさせて、ビジネス面の実績を上げる必要があるだろうと考えました。そうすることで、デザインの信頼を社内外に植え付けることが必要かなと思ったのです。

 結果として発売した第一弾が、「C1002S」です。このモデルでは、ボディカラーに保守的だったマーケットに対して、デザインにしっかり取り組んでいるという意思表示を強くしていきたいと思い、オレンジ色を投入して見事に成功。CMでもこのモデルのオレンジ色が登場し、今までとはセンスのレベルが違うのだということをアピールできました。

 ちょうどGPSサービスがスタートした時期だったでしょうか、そのタイミングですべてのモデルのデザインクオリティが格段に向上したのです。さらに翌年春に1Xがスタートするタイミングでは、量産モデルのボディカラーに「ライムグリーン」や「アズールブルー」をラインアップするなど、これまで「売れない!」と言われてきたカラーを、ハイクオリティにまとめることで市場に果敢にチャレンジし、次々とデザインの実績を積み上げられて行きました。

 2002年に発表したコンセプトモデル「ishicoro」は、そのころのマーケットではケータイと言えば折りたたみタイプが主流だった中、前年発表した「info.bar」がストレートタイプだったことを受けて、折りたたみタイプの美しいデザインを目指しました。このときのデザイナーも深澤直人さんです。

 2002年のビジネスショウでは、「info.bar」と「ishicoro」の2タイプのコンセプトモデルを、これまた深澤さんにデザインしていただいた展示ボックスでプレゼンテーションし、「デザインの良い通信キャリアはau」という図式がほぼ固定化されていきます。ちなみに、このころから僕たちごく少人数の関係者が「au design project」という名称を使い始めていて、実は2002年の展示が初お披露目だったと思います。

 この辺りになるとレギュラーラインアップのボディカラーには、「ライムグリーン」や「ブラック×レッド」のツートーンは当たり前のように存在し、「イエロー×ブラウン」といった今まで工業製品のデザインではあり得ないと言われてきたカラーリングを登場させました。おまけに市場ニーズにマッチして大ヒットとなるなど、「デザインに強いau」の名を欲しいままにし始めた時期でした。急速にケータイマーケットが、端末ビジネスとして勢いが出てくることになったのです。

つづく

PROFILE 小牟田啓博(こむたよしひろ)

1991年カシオ計算機デザインセンター入社。2001年KDDIに移籍し、「au design project」を立ち上げ、ブランドコンサルティングを通じて同社の携帯電話事業に貢献。2006年幅広い領域に対するデザイン・ブランドコンサティングの実現を目指してKom&Co.を設立。国立京都工芸繊維大学特任助教授、武庫川女子大学非常勤講師。


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