ITmedia NEWS > 科学・テクノロジー >

第5章-2 機械が生命に学ぶ時代 吉田教授の「3つの“し”想」人とロボットの秘密(2/2 ページ)

» 2009年06月02日 15時59分 公開
[堀田純司ITmedia]
前のページへ 1|2       

抽象の次元を自由に行き来する機械

 教授は、機械に存在理由を与えるアプローチと、そしてあいまいな情報も扱える「キュービックニューラルネットワーク」という技術で機械を制御し、とても生々しい動作を実現している。

 このキュービックニューラルネットワークとは、階層的な抽象次元を自由に行き来して情報を扱う技術。教授はこの着想を、19歳のときに読んだS・I・ハヤカワの著書『思考と行動における言語』(大久保忠利訳 岩波書店 1976年)に掲載されていた、一枚のイラストから得た。そのイラストでは言語の抽象の過程を解説していた。

 たとえば人間は、「ベッシー」という唯一無二の固有の存在から、そのベッシーが所属する「牝牛」という分類、あるいは「動物」、あるいは「家畜」、あるいは「農業資産」と、自由に、細かい精緻な分類からおおざっぱな判断まで、次元を移動しながら判断している。これを解説するイラストを見て、抽象度の次元を自由に行き来し制御するキュービックニューラルネットワークの着想がひらめいたという。

 精密な情報は、微細な動作を実現できるかわりに適用範囲がせまくなる。精密な情報を扱う領域は、少しでもその情報の精度がくるうと、制御ができなくなるのだ。しかしキュービックニューラルネットワークでは、「角度45度で秒速1メートルの速さで動く」といった精緻で正確な情報にもとづく制御から、「とりあえず上のほうに動く」「とにかく動いてみる」「動くか動かない」といったように漠然とした感覚的な領域の判断まで、次元の階層を自在に行きつ戻りつしながら制御を行っている。

 その結果、正確な情報にもとづく制御ならばシステムが35パーセントダウンしてしまうと動作しなくなるようなシステムでも、この制御系ならば9割ダウンしても対応できる場合があるそうだ。故障が生じて正確な情報が入らなくなっても、つまり機械にとってみれば「なにか違和感を覚えても」、情報処理の次元を切り替えながら対応できるのである。

画像 教授が開発する、パートナーロボット

 子どものころ、掃除の時間にほうきを手のひらに立てて、安定させて立たせるという遊びをやったことはないだろうか。なにぶんほうきなので安定せず、すぐにぐらぐらと揺れて倒れてしまう。こうした制御を、キュービックニューラルネットワークを使った機械にやらせる実験がある。

 その実験では、小型の車のような機械に振り子をつけ、機械は自身が動くことで振り子を振り上げる。そしてバランスをとり自身の上に棒を立たせる。手のひらにほうきを立たせてみたことがある人ならば、その難しさがおわかりになるだろう。この動作には振り子を振り上げて動かすエネルギーと、それを安定させる制御という、相反するエネルギーが必要になる。通常の精度主義の制御ではこの切り替えを、この速度になったら、あるいはこの角度になったら切り替えろという「if 〜, then 〜」のシナリオベースで操作することになるのだが、これだと一度バランスがくずれてしまうと、もろい。

 しかしキュービックニューラルネットワークでは、情報がおかしくなってくると、つまり違和感を感じはじめると、どんどん精密であっても適用範囲の狭い情報をすてて制御する。そしてまた違和感がなくなると再び精密な情報をつかって制御する。このように次元を自由に行き来して制御する結果、はるかに優れたパフォーマンスを発揮するのだ。このプロセスは、なんだか自分が手のひらの上に棒を立てたときの操作と通じるものを感じるのだが、いかがだろうか。

 こうした制御は、機械に、自分がどのような物理法則を持つ世界にいるのか、その知識を持たせることで可能になった。

 振り子の角度が何度になったら、あるいはスピードがいくつになったら切り替えるというプログラムではないんです。それだと、情報が少しでも狂うととたんにうまくいかなくなります。

 機械も我々と同じようにニュートン力学の世界で生きていますから、その世界の原理を与えるんですよ。環境が支配される、普遍的な原理原則を与える。そしてそのロボットがなにをするかという、自分の行動の評価の本質的な議論を与える。それがないと、自分で考えられないんです。

 振り子の制御でいうと、実は「運動エネルギーと位置エネルギーの和は基本的に一定だ」ということだけを教えています。「運動エネルギーと位置エネルギーの和は基本的に一定」という原則にしたがって動くのなら、なにかが間違っていても、和は一定という原則から対応できるんです。

 この機械は、自分がある程度の空間を動くことで振り子を振り上げて立てている。そうすると、複数の機械をいっしょにして振り子を立てさせたとしたら、どうなるだろうか。そこに“社会的な行動”が見られるようになるのだ。

 機械同士がぶつかってしまうと、振り子を立てることができない。そこで他の個体への「慮(おもんぱか)り」の重みづけを変えて設定すると、エゴイスティックに「俺が、俺が」と自分が立てることを優先させるタイプや、他の個体への配慮を重視するタイプなど、ロボットにもさまざまな性格が現れてくるのだ。

 そして実際に動かしてみると、「俺が、俺が」のタイプのグループはお互いにぶつかりあってうまく立てることができない。しかし他人に配慮しすぎるタイプも、開始早々お互いに「ツーッ」と距離を置いてしまい、お見合い状態になってやはりダメ。ほどよく距離を置いて成功させるのは、他への配慮と、棒を立てたいという自己実現欲求のバランスがとれた個体同士の場合なのだ。

「機械で模倣した行動に、生命の本質は関係あるのか」という議論があり、生命、特に人間が持つ感情や情緒を特別視する立場があるが、教授の機械の動作を見ると機械が生命に学ぶ時代、「機械の生命化」の第一歩を感じるのである。

すでに始まっている生命化の時代

 人のことばかり気にしていると立てられないし、自分のことばかり優先してもダメ。ちゃんとこういう結果になるんですよね(笑)。だから僕はね、エゴイスティックな人を見かけると「あ、この人はセンサーが弱いんだ」と思うことにしているんです。

 僕は、制御には「3つのし想」が大切だといつもいっているんです。それは「志して想う」「思って想う」「視て想う」の3つの“し”。この3つのバランスが大切で、「なにかをやりたい」と志しても、「どうやってやるか」を考える能力がないと実現できないし、いざはじめてもちゃんと「視て」考えた思想のとおりに制御することが大切。だからといって視るばかりで志が低いと、性能も低い。バランスなんです。個々の人間は違いますし、個々の種のふるまいはもっと違いますけど、自然界には共通する原理がある。こうしたバランスは自然界の原理原則だと思います。

 性能のいい機械をつくる技術。我々は、従来のシナリオベースの技術を否定しているわけではなく、道がひとつだけではダメだというスタンスなんですよ。

 できる限りあらゆる事態を想定して、これ以上はあり得ないというくらいまで精緻に考え抜いて、しっかりと機械をつくる道。これもとても大切です。

 しかしそこで最善を尽くしながらも、人間が完全ではない以上うぬぼれずに、想定していなかったことが起こったらどうするかという仕掛けをつくっていく必要がある。そうした発想があまりにも少なくて、今まではシナリオベースの技術にバランスがかたよっていた。だから我々はこちらをやっていこうと考えています。

 そのときにもっとも学ぶべきものはやっぱり生物。40億年の歴史を持つ生命です。生命のアルゴリズムは「こうなったらこうしろ」というシナリオベースとは明らかに違う。これを完全に模倣することはできないかもしれない。しかしアナロジーでいい。類比でいいから生命の原理を機械で構築していくことが必要と思い、そのアプローチを提起していければと考えています。

 すでに世の中も変わりつつありますよ。機械が道具以上であることを求められる時代になってきたんです。

人とロボットの秘密(Amazon.co.jpの販売ページ)

→次回:第6章-1 人とロボットの歩行は何が違うのか

堀田純司

 ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。

 著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。


前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.