「大和事業所」と聞くと「ThinkPadのふるさと」と連想するオールドユーザーは多い。IBMの時代から大和事業所で行ってきたThinkPadの設計開発は、レノボ・ジャパンの世となってから横浜市のみなとみらい21地区に新設した研究開発拠点に移っている。しかし、組織と場所は変われども、伝統ある「大和」の名を引き継ぎ、日本におけるThinkPadシリーズの研究開発拠点として、機構設計やソフトウェアユーティリティ、そして、耐久試験などを行っている。
その、横浜にある“新しい”大和事業所の一角に、歴代ThinkPadシリーズを所蔵しているエリアがある。長細くて天井は高く、2面をガラス張りにした空間に、“初めてのThinkPad”として登場した「ThinkPad 700C」をはじめとする歴代モデルを展示している。もったいないことに、このエリアは、ビジネスパートナーなどの関係者限定で見学できるのみで、一般には公開していない。そこで、このエリアに展示してある歴代ThinkPadから、特に日本IBM時代に登場した“個性豊か”なモデルを紹介しよう。
ThinkPadの名を掲げた初めてのモデルだ。1992年に登場して価格は78万2000円から。最も高額な構成では99万8000円に達したという。日本では、それまでのブランド名を継承した「PS/55 note C52 486SLC」という名前で販売していた。ディスプレイサイズは10.4型で表示できる色は256色。CPUはインテルの80486 SLC/25MHz(最大50MHz)を搭載していた。本体の重さは約3.4キロ。弁当箱のような四角く黒いボディと180開くディスプレイ、赤いポインティングデバイスのスティックなど、基本スタイルはこのモデルでできあがっている。
1993年に登場したA5サイズのボディと重さ1キロというこのノートPCが、日本の個人ユーザーにThinkPadのブランドを広めた。ThinkPad 220と本体に搭載したPCスロットに差して使うFAXモデム「XJACK」の組み合わせが、日本においてモバイルコンピューティングと屋外におけるデータ通信を一般化し、その具体的な方法の実践と技術的問題の解決、そして、個人ユーザー向けにモバイルコンピューティングの啓蒙を行うユーザーグループも出現し、商用パソコン通信を媒体に情報を発信していた。
ThinkPad 220ではバッテリーパックだけでなく、緊急対策的にコンビニでも購入できる乾電池でも動作するようになっていた。ただ、バッテリーと乾電池では電気的特定が異なるため、その違いの対応に苦労したという逸話を展示資料で紹介している。
「デスクトップPCと比べてキーピッチが狭くてタイプがやりにくい。でも、本体サイズは小さくしてほしい」というユーザーの希望に応えるべく、10.4型ディスプレイ搭載ノートPCにピッチ19ミリのキーボードを搭載して1995年に登場したのが「ThinkPad 701C」だ。ユーザーには開発コード名の「バタフライ」で知られている。ただし、開発を行ったのは大和事業所ではなく米IBMのワトソン研究所だ。左右に分割したキーボードユニットをディスプレイを閉じているときはたたんで収納し、ディスプレイを開くと連動してディスプレイが左右に展開して広がる「TrackWrite」機構を導入した。
その凝ったギミックと稼働するときの見た目のインパクト、そして、75万円という価格で多くの関係者が注目した。TrackWriteの折りたたみ機構は工業デザインとして高く評価されて、米国の現代美術館「MOMA」が所蔵したほどだ。しかし、ThinkPad 701C以降、このキーボードを採用するモデルは現れなかった。
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