毎年恒例、米Appleが開催する世界開発者会議「WWDC」(World Wide Developers' Conference)の基調講演は、2時間半にも及ぶ壮大なものとなった。テーマはOS X、iOS、watchOSそして新サービス、Apple Musicの4つ。
それでも大型映画並みの時間になったのは、それほど語るべき要素が凝縮されていたからだ。講演後、しばらく会場に残り電話をしていたら、たまたまティム・クックCEOに遭遇し、少しだけ話をする機会を得た。
今日の基調講演について聞かれたので「今日は発表の量があまりにも多く、まだ消化しきれていない」と語ったら「我々自身も、これから時間をかけて消化していく。実はそれぞれについて、もっと語りたいことがあった」と笑って教えてくれた。
WWDCには世界中から幅広いアプリ開発者が集まる。ゲーム開発者もいれば、Webサービスの開発者、教育機関や企業にiPadを導入している人もいれば、人々の人生そのものを変える壮大な取り組みをしている開発者もいる。例えば、今回の基調講演で流れたビデオでは、耳の聞こえない人に振動ストラップを巻き付け、音楽の楽しみを教える「ルドヴィヒ・プロジェクト」が紹介された。
数千人におよぶ現地参加者も、それをはるかに上回るオンライン視聴する開発者も興味の対象は千差万別だが、それぞれの開発者に少しでも多くの“引っかかり”を見せようとしたのが、講演時間が劇的に長くなった理由だろう。
すぐには書けないと、カリフォルニアのワインと食事を堪能して一晩寝て、スッキリしたところ、頭の中が整理され、開発者ではない一般ユーザーに伝えるべき「アップルの次のチャプター」への流れがおぼろげに見えてきた。それは、まさにアップルの「次のチャプターに向けての前奏曲」と呼ぶのにふさわしい内容だったと思う。私なりの視点でまとめてみたい。
講演の4つテーマのうち3つは新OSについてだった。このうちOS XとiOSの2つは、劇的な変化というよりはこれまでのOSの洗練。そして残るのは今回、初めてWWDCで取り上げられたApple WatchのOS、watchOSだ。これらの発表の後、もう1つ発表がある(One more thing)の言葉に続けて新サービス「Apple Music」が発表された。
それぞれの詳細については後で詳しく触れるとして、まずは筆者が今回の発表に見たアップルが生み出そうとしている3つの流れに触れられればと思う。
3つの流れとは「セキュリティ」、「インテリジェンス」そして「ホーム連携」だ。
アップルは、これまでにもユーザーのプライバシー情報の保護などに真摯(しんし)に取り組む姿勢を打ち出してきた。米国の媒体でのインタビューなどでは、その姿勢を「我々はアップル製品の顧客を売り物にはしない」という強い言葉で示したこともある。今回、アップルはこの姿勢を改めて過去最多世界70カ国以上から集まった参加者と、ソフトウェア産業の未来を担う350人の招待学生達の前で強調した。
世の中の流れがビッグデータや、個人情報をどんどんひも付けてのマーケティング情報獲得という流れに傾く中、アップルはそうした時代の流れに警鐘を鳴らし続けている。データの収集はテクノロジー界の最新のトレンドのようにも見えるが、あえてテクノロジー界のリーダーたるアップルが率先して「それはすべきことではない」という反対の姿勢を強調して示している。
個人から収集したデータを活用すれば、確かに商品を売る際に企業を優位に立たせてくれるかもしれない。そのデータそのものが企業に収益をもたらすかもしれない。しかし、アップルはそうしたことをしなくてもいい技術を開発し、収益を上げられると証明する目論見だ。
今回の基調講演では2、3度、プライバシーに対する配慮の姿勢を示すスライドが登場し拍手が沸いた。iOSの「Spotlight」検索や後述する新アプリ「News」で何を見ているかを他人に知られるのは決して愉快なことではない。アップルはこうした検索履歴や利用履歴の情報を、ユーザーに欲しい情報が届きやすくするために使ってはいる。使ってはいるが、Apple IDなどとひも付けができないようになっているし、もちろん他社に売られるようなこともできないように工夫されている、という。
情報提供と利便性は天秤にかけるものだと主張するIT企業もある。しかし、アップルは「会社の姿勢」としてそれを反証しようとしている。
2つ目のキーワードは「インテリジェンス」。その主役はiOSやwatchOSで使われる音声エージェントのSiriだ。今回の基調講演では新サービス、Apple Musicの紹介場面でもSiriがたくさん登場した。
「○○さんの誕生日で撮った写真を表示して」と言えばアルバムの中から、そのときの写真を見つけ出して表示してくれるし、「車に乗ったら、『これ』をリマインドして」と頼めば、開いていたメールなりマップを、車に乗車したという動きを感知して表示してくれる。
この『これ』が進化したSiriの使い心地を進化させる。講演では「ディープリンク」という言葉で紹介されたが、Siriでは特定のアプリを起動するだけでなく、そのアプリの欲しい情報を直接呼び出すことができる。
これまでiOSの操作ではホーム画面が重要な役割を果たしていたが、ディープリンクを直接呼び出せる新しいSiriが持つインテリジェンスはiOSの操作が大きく変わり始める第一歩になりそうだ。
このSiriと並んで重要な役割を果たすのが次期OS X「El Capitan」とも共通の進化した検索エンジン、Spotlightだ。Siriに声で話しかけていたような質問をSpotlightに向かってタイプすれば、その名前を含む書類やWebページとともにアドレス帳の該当する名前も表示される。iPhoneの場合は、直接そこから電話をかけたりメッセージを送ったりできる。
スポーツチームの名前を打ち込めばすぐにスコアがでてきたり、「天気」とかけばすぐに現在地の天気が表示されたり、会社名につづけて「株価」と書けばその会社の株価が表示されたり、単位を使った計算などを書き込めばその答えも表示される。OSそのものがインテリジェントになり、欲しい情報をホーム画面によるアプリ切り替えのわずらわしさなしに行える。
iTunesで取り扱っている膨大な音楽が、電波が通じないオフライン状態でも聞き放題になる新サービス、Apple Musicでも、無尽蔵の音楽の中から、聞きたい曲を取り出すのに活躍するのがSiriで、例えば「1982年のヒット曲をかけて」だったり「これに似た曲をかけて」、「この後に誰それの曲をかけて」、「誰それの新譜をライブラリーに追加して」と言ったリクエストにも応えてくれる。
iPodのホイール操作からiPhoneのタッチ操作に進化した選曲操作は、これから徐々に音声操作へとシフトしていくのかもしれない。
ユーザーの行動を先読みするインテリジェンス機能も搭載された。同様の機能は、カレンダーに入れた予定の場所を出発時間になると教えてくれるGoogle Nowや、飛行機/ホテルの予約確認メールを自動的に理解してカレンダーに追加するGmailが提供している。
iOSにも、当然これと同様の機能がついているが、それに加えてヘッドフォンを指したり、車のステレオにBluetooth接続すると、途中で再生をやめていたPodcastの再生を再開したり、自分がどこにいてどんな乗り物に乗っているかを識別して、状況に合わせていかにも聞きそうな音楽を選曲して再生してくれる。
これに加えて、アドレスブックに登録のない人から電話がかかってきた時も、ただ番号だけで表示するのではなく、過去の受信メールを検索して、おそらくこの人ではないか、という推測情報を表示してくれたりもする(しょっちゅう担当者が変わるような取引先とやりとりが多い人は特に重宝しそうだ)。まさにインテリジェントではないか。
さて、そんな基調講演でのSiriの活躍の中でも、筆者が一番印象に残ったのはApple WatchからSiriに「set the dinner scene(夕食のムードに変えて)」と頼んだシーンだ。
実演はなかったが、この命令によって家の照明が欧米のディナーテーブルのムードあふれる暗めの照明に切り替わる、という説明だった。今後、Siriを使って「HomeKit」に対応したさまざまな家電製品の操作ができるようになることも重要なトレンドになりそうだ。
ということで3つ目のキーワード「ホーム連携」を実現する「HomeKit」を紹介したい。基調講演ではHomeKitは2回登場したが、どちらも大きなインパクトを残した。
iOSの紹介では、家にHomeKit対応の家電を設置すると、それらはiCloudを経由して外出先からも操作可能になることが明かされた。
そしてもう1回登場したのがApple Watchの「ディナーシーン」のシナリオの紹介のときだが、その後で、ほとんど説明はなかったものの、Apple WatchからHomeKit対応家電を操作する画面が一瞬だけ表示された。当初、アップルはHomeKit機器の操作はSiriを使って行う方向で検討している印象があったが、やはり、それ以外にタッチで操作する画面も用意してくるようで、その部分も楽しみだ。
HomeKit対応の家電機器は、米国でもほんの数週間前から出荷が始まったばかりで、まだ数も少ないが、これから来年にかけて少しずつ種類も増えるはずで、そうした家電を1つ購入するごとに、家とあなたのiPhone、Apple Watchとの連携が少しずつ強まっていく。
まさに本格的な「デジタルライフスタイル」が、間もなく夜明けを迎えようとしているのだ。すべて最初からそううまくはいくわけもなく、実際に使い勝手がいい製品が出てくるまでには5年あるいは10年はかかるかもしれないが、今、我々はようやく昔、夢見ていたような21世紀の未来への一歩を踏み出そうとし始めている。
筆者は、今回、そんなことを感じながらWWDCの基調講演を楽しんでいた。
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