「スマホ禁止」では解決しない「頭脳ゲームの不正問題」

» 2016年11月05日 06時00分 公開
[村上万純ITmedia]

 将棋棋士・三浦弘行九段の「スマホ不正疑惑」問題は大きく報道され、将棋界の外にも波紋が広がった。「タイトル戦の対局者が変更になる」という異例の事態ではあったが、これだけ世間を騒がせたのは、それだけが理由とは言えないだろう。

 スマホを使った将棋ソフトのカンニングが疑われる背景には、将棋ソフトの目覚ましい進化がある。今ではトップ棋士相手に勝ち越すほどの実力を持つソフトもあり、「電子機器の利用」は将棋界では脅威となっている。

 将棋連盟は、スマホを含む電子機器の持ち込みや対局中の外出を禁止する規定を12月14日から施行する。このような「頭脳ゲームと不正行為(不正疑惑)」について、他のゲームではどのような現状と課題があるのだろうか。

 東大在学時に将棋部に所属し、バックギャモンや麻雀、囲碁などさまざまな頭脳ゲームに精通する、プロポーカープレイヤーの木原直哉さんに話を聞いた。

ポーカー

木原直哉さんプロフィール

 1981年生まれの北海道出身で、2001年に東京大学理科一類に入学。在学中は将棋部に所属し、バックギャモンやポーカーなどの頭脳ゲームに熱中していく。10年かけて東京大学理学部地球惑星物理学科を卒業し、翌2012年の第42回世界ポーカー選手権大会 (2012 World Series of Poker) の「ポット・リミット・オマハ・シックス・ハンデッド」で日本人初の世界タイトルを獲得。賞金51万2029ドル(約5022万円)を手にした。職業はプロ・ポーカープレイヤー。

 著書に『運と実力の間(あわい)―不完全情報ゲーム(人生・ビジネス・投資)の制し方』(飛鳥新社)、『たった一度の人生は好きなことだけやればいい! 東大卒ポーカー世界チャンプ 成功の教え』(日本能率協会マネジメントセンター)、『東大卒ポーカー王者が教える勝つための確率思考』(中経出版)がある。


ポーカーでは「電子機器の利用」にメリットがない

木原さん プロポーカープレイヤーの木原直哉さん

 莫大な金額が動く海外のカジノでは、最新テクノロジーを駆使した不正が行われていてもおかしくないイメージがあるが、木原さんは「ポーカーに関しては、AI(人工知能)を利用するメリットがほぼないので、そもそも電子機器の利用が脅威じゃないんです」と話す。

 これは、ポーカーというゲームが偶然の要素を含み、プレイをするのに必要な情報がプレイヤー間で共有されない「不確定不完全情報ゲーム」であるためだ(ここでいうポーカーは、最初に2枚の手札が配られるテキサスホールデム)。運の要素がなく、プレイに必要な情報が全員に等しく開示されている将棋や囲碁ではAIが人間を凌駕(りょうが)する勢いだが、多人数プレイで、相手によって正解となるプレイが全く異なるポーカーでは、まだまだ人間がAIに善戦できるのだ。

 また、ポーカーの本場である米国のカジノルームでは、「あまり厳しいルールにすると客が来なくなるので、通話以外のスマホの利用は禁止されていないところが多い」という(ただし、時間短縮や“通し”防止のため、トーナメントゲームでは禁止されている)。

一番怖いのは「通し」と「透視」

 そんなポーカー界で最も怖い不正行為(不正疑惑)は、「通し」や「ガン付け」だ。「協力者同士で、エースなら頭をなでて相手にカードの中身を伝える」(通し)、「カードに傷を付けて記憶する」(ガン付け)などアナログなものもあれば、特殊インクをカードに付けてサングラスや赤外線コンタクトレンズで透視する(ガン付け)というものまである。

カジノ 2012年6月に開催された世界ポーカー選手権で、木原さんは優勝した

 しかし、木原さんは「カジノでの不正行為はほとんどバレないので、みんな気付かないまま終わることが多いです」と説明する。現に、2009年にフランスで開催されたポーカー大会のファイナルテーブルで「通し」をした2人のプレイヤーがいたが、当時は誰も気付かなかったという。その後、ネットに投稿された動画を見た人の指摘で初めて事が発覚し、当事者たちには処分が下った。

 2015年に米ラスベガスで開催されたポーカーの世界大会では、サングラスを使って特殊インクを付けたカードを不正に透視したとして疑惑をかけられたプレイヤーがいたが、証拠不十分で処分は下らなかった。疑惑を残したままの平行線であるという意味では今回の三浦九段と状況が似ている。

 トッププロのダニエル・ネグラーノは「サングラスは禁止すべき」と自身のTwitterで投稿したことがあるが、「不正の可能性はなるべく排除したい」という考えは、将棋連盟の新規定と通ずるものがある。また、ルールを設けることは、不正を行おうと考える出来心への抑止力にもつながる。

「疑惑の余地を残す」ことの意味

 頭脳ゲームで対戦するにあたり、「疑惑の余地を残すこと」は、どういった意味を持つのか。

 バックギャモンという、ダイスを使うボードゲームでも、2000年代にAIが人間を超えたと言われている。バックギャモンを趣味とする木原さんは、「もうオンラインではバックギャモンを久しくプレイしていません」と話す。「世界中で、相手のチート行為を疑うようになり、オンライン文化自体が廃れてしまった」のだという。木原さんは「相手がソフトを使っているかもしれないと思った瞬間に集中力がなくなってしまう」とも語っている。

 バックギャモン界には、世界トップクラスのレーティングを誇る有名プレイヤーがいるが、彼がオンラインにしか現れないことがプレイヤー内ではちょっとした話題になっているという。「不正をしている」という決定的な証拠はないが、疑惑の余地も残してしまっている。木原さん自身も、「オンラインの成績だけでは、強さを示すレーティングの正しい評価はできない」と話す。

 一方の三浦九段は、何年も前から公の場で多くの人の目にさらされた環境で対局を重ねてきている。事実、2015年のJTプロ公式戦では1万人の観客を前に対局して優勝した。それが不正をしていないという決定的な証拠にはならないが、「将棋ソフトとの一致率」や「離席回数の多さ」などの理由だけではクロと断言できないのも事実だろう。

AIが脅威になる条件

 同じ頭脳ゲームでも、その特性によってテクノロジーが脅威となる場合が変わってくる。それは大きく分けて以下の2つに分類される。

1.AIの活用そのものが脅威

2.テクノロジーを駆使した情報の補完が脅威

 AIが脅威となるかどうかを分ける重要な要素は「ゲームの進行速度」だ。1のケースは、将棋、囲碁、チェスなどに代表される「完全情報ゲーム」の場合で、1日かけて1局の勝負をする。このような進行の遅いゲームでは、AIを使って最適解を導き出すカンニング行為が有効になる。

 2のケースは、ポーカーやマージャンのような「不完全情報ゲーム」が当てはまるが、こちらはゲームの進行速度が速い。ポーカーでは1日300ゲームほどをこなすこともあり、仮に最善手が分かってもそれはその場での一判断にすぎず、次のゲームでは無用のものとなる。このようなゲームでは、相手の手札や手ハイの情報が分かることの方が脅威だ。

 どちらのケースも、テクノロジーの進化によってますます問題は複雑かつ深刻になっていくだろう。前者については、やがてポーカーのような不完全情報ゲームすらもAIが完全解析してしまう日が来るかもしれない。後者については、小型ウェアラブルデバイスやまだ見ぬ電子機器の登場が予想される。

ゲームでの不正は「殺人に値する重罪」

 プロのポーカープレイヤーでありながら、頭脳ゲームそのものをこよなく愛する木原さんは、「ゲームでイカサマをすることは、現実世界で殺人を犯すほどの重罪」と言い切る。

 三浦九段の件がここまで取り沙汰(ざた)されたのも、プロとして活躍する棋士たちの中ではそれほど大問題だったからだろう。

 完全に取り締まるのが難しいだけあり、プロにとって「頭脳ゲームと不正行為」は頭が痛い問題だ。やや突飛だが、解決策の1つとして、「ソフト利用を前提としたプレイ」というのも考えられる。カンニングの取り締まりが難しいなら、全面的に許可してしまおうという考えだ。だが、将棋のケースなら、純粋な棋力以外にITリテラシーも求められることになり、「将棋の強さ」の概念が根底から変わってしまう恐れもある。事実、ソフトと棋士が組んで戦う「電王戦タッグマッチ構想」もあったが、反発も大きく実現しなかった。いずれにせよ、技術の進化とルールによる規制のいたちごっこを続けるしかないのが現状だ。

 コンピュータに依存する形でしか、人類は頭脳ゲームと関われないのか。先述したように、ポーカーは特定の条件下を除けばまだまだ人間が優位な世界だ。では、人間とAIがそれぞれ得意/苦手とするのはどんな特性を持つゲームなのか。木原さんの考察を交えて、次の記事(11/6掲載)でじっくりと考えていきたい。

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