自由競争をうたって無法地帯を広げるIT企業に、政府はどのような後方支援をすべきか(1/5 ページ)

» 2022年08月23日 12時30分 公開
[林信行ITmedia]

 2021年、ウクライナ侵攻直前のロシアから安価な密造酒で人々が死んだというニュースが度々伝わってきた。同年8月以降、安価な密造ウォッカが広まり、正規のお酒を買うお金のない人たちが飲んでいたが、メタノールが混入した有害なものも多く少なくとも70人以上が死亡したという。

 幸い日本では、このようなことが起きる心配は少ない。日本ではお酒の取り扱いは国税庁が厳しく一元管理している。梅酒作りなどのわずかな例外を除けば、原則、酒税法に則ってきちんと審査されたお酒しか売買できない。最近、ブームのクラフトビールやクラフトジンなども、実は裏でちゃんとこれらの手続きを取っている。

節度のない自由が招く混乱

 薬に関しても同様で、薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)で厳しく管理している。このコロナ禍で、塩野義製薬が開発した新型コロナウイルス用の飲み薬のために、通常手続きを省き短時間で薬を「緊急承認」できるように法改正までしたにも関わらず、結局、薬の有効性が確認できず未承認のままというニュースが記憶に新しい。

 時には厳し過ぎると感じられるこれらの法律や規制が、日本の安心安全を守っていると言えよう。

 しかし、ことIT業界に対する政府の態度は全く逆なことが多い。企業の利潤追求を優先し、規制緩和を乱発して、その結果として消費者に混乱を生じさせていることも少なくない。

 すぐに思い出すのがQRコード決済の乱立だ。日本では、QRコード決済が広がる前、既に海外の人がうらやむ世界でも最も先進的な非接触の電子マネーサービスが普及していた(正確には、こちらも少し乱立気味だった)。

 そんな中、中国でQRコード決済が広く普及したのを背景に、新規参入を目論む企業が店舗側への初期投資の負担が少ない決済手段としてロビー活動を行い、官庁側もそうした動向を注視。最終的にQRコード決済を全面的に後押しした。その結果、キャッシュレス決済方法が乱立し、本来は簡単になるはずだったレジの操作がかえって煩雑になり、従業員不足で悩む店舗ビジネスの従業員にかえって負担をかけることになった。

キャッシュレス化の推進は政府か

 QRコード決済後援につながる動きは「日本再興戦略(改訂 2014)」の中でキャッシュレス決済の普及による決済の利便性/効率性の向上を掲げたことが発端だろう。それ以来、キャッシュレス化が慎重に議論されてきたはずだが、問題はこうした議論の多くでは、提供するサービスの「デザイン」や「品質」に関する視点が欠落していることだ。

 質を問わずに、ただサービス提供社の量だけが増えれば、それで消費者の利便性が向上すると後押しした結果が、その後の混迷である。

 もちろん、参入企業が増えて市場競争が進めば、質の悪いサービスが淘汰(とうた)される側面はある。しかし、利用者の数に比例して有利になるITの業界では、資金力のある会社が、サービス開始直後に無料サービスやお得なクーポンサービスなどを大量投入して顧客数を稼ぐ戦術が定常化しており、必ずしも健全な競争が行われているわけではない。

 QRコード決済の規制緩和がもたらした混乱は、今後、政府が業界にどのような後方支援をするのが望ましいかの再考を促す良いきっかけになり得たはずだ。

 しかし、そうした反省もないまま、現在、政府では国民のデジタルライフスタイルに新たな混乱を招きかねない後方支援の議論が進んでいる。

 内閣官房デジタル市場競争本部事務局が「モバイル・エコシステムに関する競争評価」のことだ。これまで、iPhoneやiPadの安全を14年も守ってきた実績のあるアプリをApp Storeで一元管理するという仕組みがあるが、ここに法の力で圧力をかけ、ユーザーの安心安全を犠牲にして、他のストアの参入を受け入れさせようとする議論だ。サービス提供社の量が増えれば、それで消費者の利便性が向上するだろうという雑な判断の下に競争促進を後方支援しようという案であり、ビジネスチャンスを狙う企業に忖度(そんたく)した案でもある。

実は画期的な発明だったApp Store

 政府で進められている議論の話に入る前に、改めてApp Storeの革新性について振り返りたい。筆者はプロとしては32年にわたってデジタル業界を見ているが、それ以前も学生として10年ほどコンピューター業界の動向を見てきた。その観察してきた40年近い歴史の中でも、最も衝撃的だったのは、1980年代初頭に見た「コンピューターウイルス」流行のニュースだった。

 コンピューターウイルスそのものは概念として1970年代からあったが、個人が手にするパソコン上のウイルスが登場し始めたのが1981〜2年頃だった。当時は、まだパソコンをネットワークに繋ぐことはほとんどなかったため、そこまで流行してはいなかったが、その後、会社で使い回されたり、レンタルソフトウェア会社で流通するディスクを通しての感染事例が報告され始める。

 かつて聞いた車椅子の宇宙物理学者、スティーブ・ホーキング博士が講演の中で「コンピューターウイルスは生命の1つに数えていいと思う。私たちがこれまでに創造した唯一の生命体が純粋に破壊的であるということは、人間の本質を言い表していると思います。私たちは自分たちのイメージで生命を創りだしてしまったのです」と語っていたが、まさにその通りだと思った。

 その後、1990年代までにはユーザー数が多い故にウイルスを含む悪意のあるソフト、マルウェアのターゲットになりやすいApple II、MS-DOSやWindowsのパソコンでは、アンチウイルスのソフトを常に稼働させておくことが必須となった。せっかく高性能が自慢のプロセッサを搭載していても、常にその性能の何割かをアンチウイルスソフトの実行に割かなければならず、常に最新のウイルスに対応できるように定期的な課金をすることが必須になるという本末転倒が始まった。

 人々の善意が形になり、生活を豊かにすると思っていたパソコンで、このような不毛なソフトが作られることに絶望を感じたが、では、このウイルスを含むマルウェアの心配をなくす方法があるかと言えば何もなかった。だから、あのMicrosoftを始めとするパソコン用OS提供会社も諦めていたのだと思う。

 この状況を変えたのが、2007年にまずは米国のみで提供が始まった新しいデジタルデバイスのiPhoneだった。発表時から1年以内に1000万ユーザー獲得を目標としていた。それだけの規模があれば十分マルウェアのターゲットになることも考えられただろう。

 当時のスティーブ・ジョブズCEOはこれを良しとせず、最初のiOSはApp Storeがなく、Appleがあらかじめ用意したアプリしか使えない仕様だった。それでもWebブラウザのSafariや地図アプリのGoogle Map、YouTubeの再生アプリ、計算機やメモなど今日でもiPhone利用の大半を占める主要なアプリがあらかじめ用意されていたため大歓迎を受けた。

 ジョブズCEOは、どうしてもiPhone用にアプリを作りたい開発者はWebブラウザを通して実行する「Webアプリとして開発すればいい」と勧めており、実際、iPhone発売直後にはAdobeのサンフランシスコのオフィスに有志の開発者が集まってiPhone用Webアプリ開発のノウハウを話し合ったり、その情報を共有したりし始めていた。

 しかし、その後、iOSをハックして自前のアプリを動かせるようにするJailbreak(脱獄)と呼ばれる行為が横行し始め、独自のTwitterクライアントを始めとする多くのアプリが流通し始めた。

       1|2|3|4|5 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

アクセストップ10

2024年04月19日 更新
最新トピックスPR

過去記事カレンダー