「HP」という社名は創業者の“コイントス”で決まった――シリコンバレー生誕の地「HP Garage」で知る、意外な逸話(1/3 ページ)

» 2023年10月05日 17時00分 公開
[笠原一輝ITmedia]

 HPといえば、多くの読者にとってはPCやプリンタなどのIT機器を提供するメーカーとして知られているだろう。

 1939年1月に創業したHP(Hewlett-Packard)は2015年、PCやプリンタなどを提供する「HP(HP Development Company, L.P.)」と、スーパーコンピュータやサーバといったエンタープライズ向け機器を提供する「HPE(Hewlett Packard Enterprise Development LP)」に分社され、現在に至っている。

 現在のHPとHPEの“ルーツ”は、現代でいうところの「スタートアップ企業」だった。創業の地が米カリフォルニア州パロアルト市のとある民家とその車庫(ガレージ)だったことは、よく知られている。その民家と車庫はHPによって買い取られ、現在はHPの顧客などに限定公開されるミュージアム(博物館)「HP Garage」として現存している。

 Hewlett-Packardの社名が2人の創業者であるビル・ヒューレット氏(1913〜2001年)とデーブ・パッカード氏(1912〜1996年)にちなんでいることはよく知られている。だが、あと少しのところで社名が「PH(Packard-Hewlett)」になったかもしれない――このエピソードはあまり知られていない。

 一体どうして、そんなことになったのだろうか……?

HP Garage HP創業の地に保存されている「HP Garage」

民家と車庫始まったHP シリコンバレーの礎に

 現在のHPとHPEは、いずれも対外的なコミュケーション時は「HP」という短縮形を用いており、特にHPは社名そのものも短縮形となっている。しかし、先述の通り両社のルーツは「Hewlett-Packard」という企業で、短縮形のHPはそのニックネームのような形で使われていた。

パロアルト市の民家 HPの“創業の地”であるパロアルト市の民家

 ビル・ヒューレット氏とデーブ・パッカード氏がHPを創業したのは1939年1月である。

 後にシリコンバレーの中心を担う大学となる「スタンフォード大学」(パロアルト市)を卒業した2人は、一時期はそれぞれ別の職についていたが、1938年に再びパロアルトに戻ってきて、1939年1月2日にHPを創業した。

 その“創業の地”となったのが、パッカード夫妻がパロアルトで借りた民家の奥にあった車庫である。民家の1階にはパッカード夫妻が暮らし、その庭にあった離れに当時は独身だったビル・ヒューレットが住んでいたという(その年の10月にヒューレットも結婚したので、その離れは後にHPのオフィスの一部となったそうだ)。

 後の大企業であるHPとしては、なんとも牧歌的なスタートといえるだろう。

ルーツの車庫 HPのルーツである車庫
離れ ビル・ヒューレット氏が住んでいた離れ

 創業したばかりのHPがまず取り組んだのが、オーディオ機器をテストするための「オーディオ発振器(Audio Oscillator)」の製作だ。HPが作り出した「200A」というモデルは、その音質がウォルト・ディズニーに評価されて採用されるなど大ヒットし、大きな会社として成長する足がかりとなった。

 HPはその後、1970年代に電卓などを開発/販売するようになる。HPの関数電卓は、世界中の大学で使われるようになり、その名を広めた。そして1980年代からはコンピュータ関連事業に参入し、PCやプリンタといった、今のHPが販売しているような製品の提供を開始している。

 2001年には大手同業であるCompaq(コンパック)の買収を発表。同社との統合を進めた結果、世界最大のPCメーカーへと成長した(その後、IBMのPC事業を買収したLenovoに規模で逆転されるが、それはまた別の話である)。

 その後は皆さんもよくご存じの通りで、グローバルのPC市場シェアでは2位、プリンタやコピー機などの事業ではグローバル1位の規模を誇っている。

若き日の創業者 HP Garageのスクラップブックにあった、若き日のビル・ヒューレット(左)とデーブ・パッカード(右)

 このHP Garageだが、どういう経緯でHPが取得することなったのだろうか。

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