筆者は現在、スマートフォン関連のフリーランスジャーナリストとして香港を拠点に活動している。1998年に日本企業の駐在員として赴任し、現地で2003年に退職、それから現職となった。当初は仕事がなく、貯金を崩しながら生活していたという話は置いておき、筆者の30年のPC遍歴を振り返ってみよう。
2024年9月にPC USERは30周年を迎えました。そこで日頃から弊誌で記事を執筆しているライター陣に「私のPC遍歴30年」と題して、自身のPCにまつわる過去を振り返ってもらいます。あなたにとっても「懐かしい」と感じる話題が飛び出すかも? 今回の著者:山根康宏
ITmedia Mobileで連載中:山根康宏の海外モバイル探訪記
大昔はPC98シリーズを使い続け、Macintosh LC IIの登場でMacに乗り換えたこともあったが、約30年前の1996年ごろを振り返ると、たしかWindows 95を搭載した東芝のデスクトップPCを使っていた(モデル名は思い出せない)。
フジテレビの深夜にやっていたアジアの音楽番組から韓国歌謡(当時はK-POPなんて言葉は無かった)にハマり、韓国語が扱いやすいPCとしてWindows 95に乗り換えたという背景がある。
当時はパソコン通信にハマっていたこともあり、外出用にはZaurusを使っていた。その流れから1997年には東芝のミニノートPC「Libretto 70」を買ったものの、モバイルに使うにはバッテリーの持ちも非力で使用頻度は少なかった。
そんな筆者に大きな転機が訪れたのが1998年。「工場生産管理→研究職」と理系の道を歩んでいたにもかかわらず、突如として「香港へ行って貿易と営業をやれ」との指令が下った。
そこで香港からさらに海外出張する際に、プリインストールソフトがほとんど入っていないことでトラブルも少ないだろうと選んだ三洋電機のノートPC(これも型番は覚えていない)を購入。また、韓国の音楽番組のビデオテープから動画をキャプチャーするため、キャプチャーボードが標準搭載されていたソニーの「VAIO PCV-R51V5」も購入したと記憶している。
香港での生活は、慣れない仕事に四苦八苦しつつも1年もたてば快適となり、気が付けば携帯電話にハマっていった。香港は世界中の携帯電話が輸入され、再び出荷されていく世界の携帯電話の貿易の中心だった。いつしか海外携帯電話のブログを始め、季刊誌へ寄稿などをするようになり、2003年に現地で退職して現職に至る。
ここでフリーランスとして活動するために新たに選んだノートPCが、ソニーの「VAIO U」(PCG-U1)だった。今見てもその小ささは十分通用するであろう小型のモバイルノートPCであり、これがあれば世界中の展示会へ行っても現地で楽に記事が書けると思った。
ところが持ち運びに便利なのは小ささだけであり、タッチタイピングすら難しい小型のキーボードには手間取った。展示会ではプレスルームに置いてあるデスクトップPCのキーボードを借りてVAIO Uに挿して文字入力していたこともある。
インターネットと共に生まれ育った“中堅”情シスのPC遍歴
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