M2Mで牛の体調を“見える化”、農家の負荷を軽減――「牛温恵」の異色のモバイル活用法MCPCアワード審査員長特別賞受賞

» 2012年05月08日 19時07分 公開
[柴田克己,ITmedia]
Photo 「牛温恵」の開発者であるリモート代表取締役の宇都宮茂夫氏

 業務におけるモバイルの活用といえば、近年流行のスマートフォンやタブレット端末を採用したシステムというイメージを最初に思い浮かべる人も多いのではないだろうか。実際、モバイルの導入で成果を上げている企業や学校・団体を顕彰する「MCPCアワード2012」でも、多くの受賞事例がそうしたものだった。

 こうした中で、ひときわ異彩を放っていたのが、審査委員長特別賞/モバイルテクノロジー賞を受賞した「牛温恵(ぎゅうおんけい)」だ。牛恩恵は大分県別府市のリモートという企業が開発した「牛」の遠隔監視システムである。牛を飼っている農家にとって極めて重要な、出産時期や発情期などの予兆を、牛の胎内で起こる「体温変化」から予測し、無線ネットワークとインターネットを利用して、飼い主に対して通知するマシン・トゥー・マシン(M2M)型のサービスとなっている。

 「システム名の『牛温恵』は、『牛の体温から恵みをいただく』という意味で命名した」――。こう話すのは、リモートの代表取締役である宇都宮茂夫氏。宇都宮氏は、農家に生まれ、農業高校を卒業したのち、1970年から78年まで、実家の農業経営に携わった。しかし27歳のとき、国の減反政策のあおりや、家畜の分娩事故などを契機に「農業に挫折を感じて」(宇都宮氏)転身。以来、日本テキサス・インスツルメンツ(日本TI)で半導体等の開発業務に従事した経歴を持つ人物だ。日本TIでは、キヤノンのプリンタヘッドの共同開発などにも参画したという。

 日本TIには50歳になる2002年まで勤めたが、おりしも日本での外資系IT企業におけるリストラが盛んに行われる時勢となる。宇都宮氏は、リストラを執行する立場として職務を遂行後、「道義的責任を感じて」退社。そこで改めて、かつて挫折した「農業」の世界で、自分が悩んでいたことが、まったく解決されていない現状を目の当たりにし、大分県の産業技術センターと共同で、牛の遠隔監視システムである「牛温恵」の開発に取り組んだという。

農家の監視負荷を減らし分娩事故を大幅に削減

 ここで改めて「牛温恵」の概要を説明しておこう。このシステムでは、牛の飼い主が、無線装置を内蔵した「体温センサー」を、分娩間近な牛の膣内に挿入しておく。すると、そのセンサーが牛の体温を0.1度刻みで5分おきに測定し、農家内に設置された基地局に送信。これをネット上の監視サーバに送って集計し、出産や発情などのイベント直前に起こる体温変化のパターンが表れた場合に、飼い主へと通知する仕組みだ。飼い主は、この通知をもとに、出産事故が起こらないよう集中的に見守ったり、効果的に交配を行えるよう手配をしたりできるという。

Photo 「牛温恵」のシステム概要
Photo 「牛温恵」を構成するハードウェア群。全長10センチほどの体温計には無線モジュールが内蔵されている
Photo 牛の体温はセンサーによって0.1度刻みで5分おきに測定され、監視サーバへと送られる

 宇都宮氏によれば、こうした見守りの仕組みは、特に牛の飼育において重要な意味を持つという。かつて、国策として米作が振興されていた1960年代において、牛は稲作における重要な「労働の担い手」として、農家の一員となっていた。当時は運動が十分だったことから比較的安産が多く、また、農家あたりの飼育頭数が少数だったため、見守りの負荷も極端に高くなることもなかった。

 しかし、減反政策と農作業の機械化によって、家畜の役割は急速に「食肉の供給」へとシフトしていった。経営の効率化を目的とした、狭い牛舎での密集飼育による運動不足や、育種改良による個体の大型化、管理頭数の増加などの理由によって、分娩時の事故率も上昇する傾向にあり、それを未然に防ぐための牧場主による監視作業はかなりの重労働になっていったという。

 「妊娠期間のばらつきが少なく、分娩予定が立てやすい豚に比べて、乳牛や肉牛の妊娠期間にはプラスマイナス10日ほどのばらつきがあり、計画どおりにいかないケースも多い。そのため、監視作業の負荷が極端に高くなってしまっている」(宇都宮氏)

Photo 牛の妊娠期間にはばらつきがあり、飼育頭数も増えていることで監視作業の負荷は他の家畜に比べて高くなってしまっている

 同社の独自調査によれば、たとえば黒毛和牛1頭につき、1回の分娩事故によって発生する損失金額は約35万円にものぼるという。また、分娩の難しさに加えて、分娩後の育児放棄などが発生するケースもあり、1頭の飼育にかかる総合的なコストは高い。可能な限り分娩事故をなくし、無事に市場へ出荷できる体制を作ることは、牛の飼育に取り組む農家によって、死活問題といってもいい状況なのだ。

 牛温恵による母胎の見守りによって得られる最も大きな恩恵は、農家における監視作業の省力化と、分娩事故率の削減だ。

 2006年における農林水産省の統計データと、同社での集計データを照らし合わせた結果によれば、牛温恵の導入により、未経産牛(初産となる牛)の事故率は10.6%から、0.8%へと大幅に削減されているという。また、経産牛(出産経験のある牛)の事故率は3.0%から0.1%へと低下し、平均では、未導入の場合4.0%の事故率を、導入によって0.2%まで下げることが可能だとしている。この0.2%という数値は「人間の新生児の出産事故率と大きく変わらない」(宇都宮氏)とする。

Photo 「牛温恵」を利用して母胎を監視することで、分娩事故を大幅に減らせるという

 同社では、この実績をもって、全国での牛温恵の普及を進めており、現在、九州と北海道を中心に多くの農家で導入実績があるという。

 「このシステムでできるのは、農家の作業の手助け。最後にものをいうのは各牧場主の『腕』であることは言うまでもない。現在は、まず無償でシステムを提供したうえで導入を検討してもらっている。おかげさまで、今のところ解約は1つもない」(宇都宮氏)

農業をはじめ、さまざまな業種でのM2Mの活用が進む

 牛温恵は、牛の黄体ホルモンの分泌と体温の変化の関係性に着目し、それをセンサー技術、無線技術、インターネットと組み合わせることで実現したシステムだ。宇都宮氏は「他にもこうしたM2Mの技術の導入効果がある分野は多いのではないか」と話す。

 「例えば、体温、水温、温室温など、温度変化とその管理が重要な意味を持つ農業の分野は多い。さらに異業種でも、設備の保守管理、醸造、露天風呂、介護分野など、センサーによる監視の仕組みが役立つと思われる分野は数多くある」(宇都宮氏)

 同氏は今後、これらの技術をベースとした『異常予知』と『情報の遠隔保存』の活用が、あらゆる分野で進む時代になるのではないかと述べて、プレゼンテーションを終えた。

Photo M2Mの導入効果が見込める分野

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