連載
» 2011年11月18日 12時00分 公開

挑戦者たちの履歴書(126):バスケにバイトにバンド、堪能した大学時代

編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。今回は、瀧田氏の大学時代を取り上げる。初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。

[吉村哲樹,@IT]

 前回は、瀧田氏の大学生活の中で、主に勉学面に焦点を当てて紹介した。しかし、同氏もほかの一般的な学生と同様、勉学以外のキャンパスライフも十二分に満喫していたようだ。むしろ、勉学以外のところにこそ、瀧田氏らしさが存分に発揮されていたといっても良いかもしれない。

 まずは、クラブ・サークル活動。生粋のスポーツウーマンである瀧田氏らしく、所属先は体育会のバスケットボール部。体育会だけあって、普段の練習もかなり厳しいものだったと言う。ちなみに同氏は、バスケットボールの経験はそれまであったのだろうか?

 「高校のころから、部活ではやってはいなかったものの、バスケは好きでよくやってました。本格的な経験はなかったんですけど、何となくいつの間にか自然にできていたという感じでしたね」

 よほど運動センスに優れていたのだろう。大学の部活動でも、入部は2年生からと遅かったものの、3年生のときには副将まで務めたというのだから驚く。ちなみにバスケは、社会人になった後もクラブチームに所属して続けていたそうだ。

 そして、学生であれば誰もが経験するアルバイト。幼少時から水泳が得意だった瀧田氏は、スイミングスクールで子ども向けクラスを指導するバイトに就く。ここで、単に指導の仕事をこなすだけに留まらないのが瀧田氏らしい。

 「子どもを教える側の責任として、もし事故があったときにはどう対処したらいいのか、ちゃんと押さえておく必要があると思いました。そこで、日本赤十字社の救助員の資格をとったんです。でも、この資格はどちらかというと救助活動の“型”を重んじるものだったので、もっと実践的なスキルを身に付けたいとずっと思っていました」

 そこでひょんなことから耳にしたのが、ワールドライフセービング(現国際ライフセービング連盟)が認定するライフセーバーの資格だ。この資格を取得するには、ライフセービングの本格的な訓練を受け、より実践的なスキルを身に付けることが要求される。しかし、当時はまだ日本国内でこの資格を取得することができなかった。瀧田氏はいつしか、「海外に行って、ライフセーバーの資格をとりたい!」と熱望するようになったが、大学在学中には1人で海外に出ることを両親に反対され、その願いは叶わなかった。

 しかし、ここで決して諦める瀧田氏ではない。大学を卒業し、社会人になった後もライフセーバーの資格取得の夢を捨てきれず、何と28歳のときにようやく念願の資格取得までこぎ着けた。

 「1週間の休暇をとって、辻堂でライフセーバーの訓練を受けました。訓練自体はかなりハードなものでした。周りは大学のライフセービング部に所属しているようなマッチョなお兄ちゃん、お姉ちゃんばかりで、社会人は私1人だけでしたね!」

 ここまでの話を聞くと、何だか体育会系一筋の生活を送っていたようにも聞こえるが、瀧田氏は一方で文科系の活動もしっかりたしなんでいた。

 「1年生のときには、バンド活動もやってたんです。仲の良かった同級生がバンドをやっていて、『キーボードやってくれない?』と誘われたので。学園祭で演奏したり、ライブハウスで演奏したこともありましたね」

 演奏曲は1980年代当時、ちょっと楽器をたしなむ若者なら誰もがコピーしたカシオペアやスクエアといったフュージョンバンドのヒット曲。同じく、1980年代のフュージョンブームを若い時分に経験した筆者にとっても懐かしい話だ。

 「でもフュージョンだけではなくてレゲエや、サザンオールスターズのコピーなんかもやってましたよ。まあ、節操がなかったんですね!」

 ……。やはり瀧田氏の生き方は、何かにつけて既存の枠組みになかなかはまらないようだ。


 この続きは、11月21日(月)に掲載予定です。お楽しみに!

著者紹介

▼著者名 吉村 哲樹(よしむら てつき)

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。

その後、外資系ソフトウェアベンダでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。


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