もはや隠す必要なし? 「海外パッケージそのまま」が増えた理由牧ノブユキの「ワークアラウンド」(1/2 ページ)

» 2015年11月17日 07時30分 公開
[牧ノブユキITmedia]

意外に知らない「パッケージ」の変遷

 PCの周辺機器やサプライ、アクセサリにおいて、Webページに掲載されている製品情報は日本語なのに、いざネットで注文して届いてみたら海外パッケージだった……というのはよくある話だ。

 中小のショップが独自に手掛けているのならまだ分かるが、最近はれっきとしたメーカー発の製品でありながら、バーコードだけ自社シールを貼った海外パッケージのケースもある。「あれだけWebサイトでアピールしていて自社製品じゃないのかよ!」と、ツッコミを入れたい気分になることもしばしばだ。

 もっともこれは、決してここにきて国内産の製品が減少したというわけではなく、従来はパッケージだけは日本語化していた海外製品をそのまま売るようになり、相対的に目立つようになっただけという見方が正しい。

 今回はこうした販売方法が増えつつある背景について、PC周辺機器やサプライ、アクセサリ市場が勃興した1990年代初頭にまでさかのぼり、これまでの変遷を見ていくことにしよう。

海外産のサプライやアクセサリが台頭した1990年代

 PC周辺機器やサプライ、アクセサリ市場が(本格的に)誕生したのは、1990年代初頭のことだ。

 PC-98やFM-TOWNS全盛だったところに、海外から入ってきたMacintoshやPC/AT互換機が国内で売られるようになり、それに伴ってマウスパッドやFDDケース、データホルダーといったサプライやアクセサリの売場にも、海外産の製品がどっと増えた。このほかPC本体に接続して使うマウスなどの機器も、海外産の製品が増え、売場が一気ににぎやかになった。

 こうした中、続々と誕生したPCサプライ、アクセサリのメーカーは、海外からこうした製品を大量に仕入れ、自社パッケージに変えて流通させるというスタイルで勢力を拡大していった。

 当時はバブル崩壊直後ということで、工場を持たず外部に生産を委託するファブレスメーカーは、時代の変化に対応できる業態として評価が高く、何より確実にこれから伸びるとされているPC市場において、サプライ、アクセサリを手掛けるメーカーの数は限られていたことから、販路は急ピッチで広がっていった。

 こうしたスタイルをメーカーと分類してよいかどうかは議論のあるところだが、ではなぜ各社は、海外製品のパッケージをわざわざ日本語化していたのだろうか。

 その理由は「社名を売り込む必要があったから」だ。海外パッケージをそのまま流通させれば原価は最小限で済むが、それでは自社ブランドを世間に浸透させられない。この機に乗じてメーカーとしての知名度を高めるためには、パッケージをオリジナルのものに変更し、いかにも自社が企画設計したように見せる必要があった。

 もともと海外で人気のあるサプライやアクセサリを海外から大量に仕入れ、パッケージを変えて売るスタイルは、こうした事情もあって確立したわけだ。

 もっともしばらくすると、同様のスタイルでPCサプライ、アクセサリを販売する自称メーカーが続々と登場したうえ、当時は海外メーカーから製品を仕入れる際に1社だけが国内販売を独占するという契約形態もあまり取られなかったことから、A社とB社が全く同じ製品をパッケージだけ変えて売るといった事態も度々発生するようになった。

 どこから見ても同一のFDDケースやマウスパッドが各社から発売されていたのは、こうした理由によるものだ。

 その一方、海外のサプライやアクセサリは日本国内ではそのまま通用しにくいデザインであることも多かったため、一部のメーカーは外見を日本向けにアレンジしたり、またはイチから自社で企画設計を行って製造だけを海外に委託するといった具合に、自社オリジナルの製品を作るようになっていった。

 今でいうODMにあたるわけだが、これによって他社と差異化を図って利益を確保し、かつ他社とバッティングする製品は徹底的に安売りして他社をつぶすという、二段構えの戦略が取られるようになる。かくしてパッケージ替えしかできない自称メーカーの多くが、この時点で退場することになった。

 これが1990年代後半、Windows 95のブームを経てWindows 98が登場し、さらに初代iMac(1998年)が登場したころの出来事だ。

ネット通販の台頭でパッケージに変化が起こった2000年代

 さて、こうした動きと並行して、PC周辺機器やサプライ、アクセサリの市場では2000年代から新しい売り方が見られるようになる。

 それは製品を無地の白箱(もしくは茶箱)に詰めて売るという手法だ。手法そのものは過去になかったわけではないが、周辺機器のような高価な製品で白箱や茶箱を採用するケースはあまりなかっただけに、当時は思い切ったパッケージとして同業者の間で注目を集めた。

 この背景にあるのは、ネット通販の台頭だ。1990年代まで製品の販路は店頭がメインだったため、前述のようなブランディングの観点、および製品のスペックを紹介するためにも、パッケージは情報を盛り込んだ自社オリジナルデザインにする必要があった。

 しかし購入の是非を判断する段階でパッケージが目に入らないネット通販では、こうした必要はない。そもそもパッケージ制作には多大なコストがかかるので、自社パッケージを作らなくて済めば、時間もコストもかからず一石二鳥というわけだ。

 とはいえ、当時はまだネット通販だけで売上を立てるにはボリュームが不足しており、最低でもチラシ商材として流せるレベルでは、パッケージを用意しておく必要はあった。一般的に家電量販店は、パッケージを見ただけでは仕入元が判断できず、問い合わせや返品に支障を来すことから、海外パッケージの取り売りを嫌う傾向がある。

 しかし無地の白箱にメーカーがバーコードシールを貼ったパッケージであれば、少なくとも仕入元を見誤ることはない。さらに茶箱や白箱は、法人への納入に好都合という理由もある。海外パッケージのまま法人に納入しようものなら、海外の製造元から直接仕入れたほうが安いのではないかと疑いをもたれるからだ。

 こうしたことから、海外パッケージと自社パッケージの折衷案に当たる白箱や茶箱の採用例が増えたというわけである。海外産の製品だけでなく、自社が開発した周辺機器の容量違いモデルなどでは、現在でもこうしたパッケージを採用しているケースは数多い。

 「エコパッケージ」など、エコロジーに配慮しているようにアピールされることが多いが、実際にはこうした事情が背景にあって誕生したのだ。

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