“ラーメンの鬼”佐野実の娘が明かす「ラーメンの新境地」 父になかった「支那そばや」の哲学とは変えるものと変えないもの(2/4 ページ)

» 2021年12月02日 18時15分 公開
[河嶌太郎ITmedia]

百貨店勤務で培ったこと

――史華さんは支那そばやに入る前は百貨店で働いていました。そこで培ったものは生かせていますか?

 百貨店では受付勤務とエレベーター乗務をやっていました。今のラーメン店が団体競技だとすると、百貨店では個人競技の仕事であって、かなり対照的だと思います。お客さまの質問に受け答えをする仕事をしていたので、その部分は従業員を教育する際には生かされているかもしれないです。

――個人競技から団体競技である飲食業界に移ったということですね。

 一人でやる仕事からバケツリレー的なチームワークが大事な環境に変わりました。「はい、はい、はい」みたいに流れを作って、調理から盛り付け、配膳まで乗せていくチームワークはそれまで経験したことがなかったので、ある意味で「快感」でしたね。

――なるほど。史華さんは14年に、父・佐野実さんが亡くなられたのを機に支那そばやで働き始めました。畑違いの仕事をすることに戸惑いはなかったんでしょうか。

 最初は右も左も分からず、「ぽっと出」の私がお店に行って、「あの貼り紙をこう変えたい」とか、「こうしたい」とかって言うと、受け入れてもらえない空気を感じるんです。父の娘としてお店に行く分にはみんなすごく優しかったのですが、いざ支那そばやに入って、自分の意見を通そうと思ったら、なかなか意見は通りませんでした。一緒に現場で働かないと聞いてもらえないんだなということに気付かされましたね。

――お店の人から認められるためにどんなことをしたのでしょうか。

 毎日のようにお店にいないと意見が通らないので。一緒に洗い物をするところから始めました。お店の一員として頑張り続けていると、「こんなに頑張ってもらえるとは思わなかった」というようなことを言われたんです。こういう言葉を励みに、自分の気持ちの波を一定にして、みんなから頼られることを心掛けながら、認めてもらえるよう頑張りました。

――現在は現場の運営全体を見渡す立場にいます。どのような形でお店に立っているのでしょうか。

 お店のホールと厨房の両方に入ります。その日の人員によって、一日中厨房にいる時もあれば、一日中ホールにいる時もあるし、半々の時もあります。厨房では直接調理はせず、盛り付けを主に担当しています。また、新メニューの試作の時に「この食材を入れたい」といった提案もしています。ホールでは、他のスタッフの教育をしながら率先して動いていますね。

東京ラーメンストリート店の外観

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