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» 2010年12月19日 02時42分 公開

東芝ノートPCを“実績ゼロ”から“世界のトップ”にできた理由なぜか円谷特撮映画を思い出します(2/2 ページ)

[長浜和也,ITmedia]
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東芝はIBMの願いを断った

 その後も、デルによってPC流通の新しいモデルが提唱されるなど、PC事業をめぐる環境は変動し続けたが、そのなかで、IBMがPC事業をレノボに移管したときのエピソードを西田氏は紹介している。それによると、IBMは東芝にもPC事業の移管を提案したが、その提案を東芝は断ったという。そのため、レノボへの移管が決まったのだが、ただ、そのおかげでPC事業におけるIBMとレノボの“契約期間”が終了した現在、IBMは納入用のノートPCに東芝の製品を取り扱うようになったという。

 25年前のノートPCを振り返った西田氏は、今後25年間過ぎても「PCはなくならない」という。「携帯電話やタブレットデバイスでPowerPointの作成は困難。高い生産性を実現するのは、やはりPCだ」と述べた上で、「ほかのデバイスとの融合は進むだろう。また、新しい技術を取り入れて高度に進化が進めば、今のような形態をしているかは分からない」とノートPCの未来を予想した。

特別展示で登場する「非公開」な「電子計算機」

 特別展示には、これまでも発表会記事で紹介している歴代のノートPCや、現役の最新ノートPCが並んでいるが、それとあわせて「ノートPC以前」に東芝が開発、販売していたデスクトップPCや黎明期の電子計算機も公開されている。黎明期の電子計算機は通常非公開で見ることができない。そういう意味で貴重な機会といえるだろう。ここでは、その一部を紹介する。

東芝ノートPC25周年を記念する特別展示には、歴代ノートPCが並ぶ(写真=左)。オレンジの輝きが印象的だったT3100日本版のJ3100(写真=中央)。そして、すべてここから始まったというT1100(写真=右)

過去のラインアップとあわせて現在投入されている最新のノートPCも用意され、3D立体視表示のデモも行われている。その中で東芝が海外で出荷しているTegra 2搭載のAndroidタブレットデバイス「FILIO 100」も(ケース内展示だが)姿を見せていた

特設展示では、「ノートPCの前」に東芝が展開していたコンシューマー向けデスクトップPCやボードPC、そして、黎明期の“電子計算機”など、発表会でも見る機会がない、通常は非公開の機材を見ることができる(写真=左)。デスクトップPC「PASOPIA」(パソピア)は、1981年に登場したデスクトップPCで当時の価格は16万3000円だった(写真=中央)。1978年に登場したEX-80は、ワンボードマイコンと呼ばれた機材でもともとは技術者向けの訓練用だったという(写真=右)

昭和29年に開発した“真空管式計数形電子計算機”の「TAC」(Todai Automatic Computer)では、ブラウン管(!)メモリを16本、真空管7000本、ダイオード3000石が使用された

昭和36年に登場したマイクロプログラム方式コンピュータ「KT-パイロット計算機」では、利用目的にあわせて用意したマイクロプログラムでハードウェアの構成と挙動を変える仕組みが導入された。研究目的で作られた試作機だが、このハードウェアが東芝のメインフレーム「TOSBAC」につながっていく

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