時代は進み、寺田さんは阿佐美を卒業して、プロのイラストレーターになった。
プロとして数年が過ぎた頃、PCでグラフィカルなことができるようになって来始めた。ただ初期のMacintosh(現Apple、当時はApple Computer)は周辺機器までそろえると400万円以上もしたため、「まだまだ駆け出しで貧乏な」寺田さんには導入できなかった。
「友達が阿佐美の講師をしていて、そのつてで学校に設置されたマシンに触らせてもらった。Adobe(当時はAdobe Systems)Photoshopのバージョンがまだ1.0だった。フルカラーだと重たすぎて、まともに描けなかったからグレースケールで。マウスで線を引いてもぼかす、というのを繰り返して絵を描いてみて、何とかフォトリアルなものは描けそうだなと」
その後Appleからエントリーモデルである「Macintosh LC III」が発売された。
50万円と、当時にしては低価格だった。
「小さい画像ならフルカラーで絵が描けた。初めてデジタルで商業誌に描いたのは、『月刊アスキーコミック』の『バーチャファイター』のキャラクターの折り込みグラビア。当時はデータでの入稿は対応していないからって断られてたけど、さすがは電子系の出版社で『データでいいですよ』と言われてMOディスクで納品した」
そうこうしているうちに出版社、印刷会社のデジタル化は進み、徐々にデータ入稿がOKになっていった。
「Macとワコムの板タブレットとPainter(Fractal Design、現Corel)があれば仕事になると確信した。それでPower Macintosh 8100を買った。マシンだけを秋葉原に買いに行って100万円ちょっとしたかな。完全に仕事前提だったから、ついに仕事道具を買ったという感じ」
線画はアナログの鉛筆で紙に描いて、それをスキャンしたものにデジタルで色をつけて、という工程を確立した。
筆者は当時、寺田さんの真似をしてPainterを購入する人が多かったのを覚えている。
寺田さんはその後、月刊『ASCII』にて、バーチャファイターの漫画を連載することになった。また、『ウルトラジャンプ』が創刊されて『西遊奇伝・大猿王』の連載が始まった。
どちらの連載も基本的にはフルデジタル、フルカラーで描かれた。
「アナログとデジタルを使い分けようと思っていたけど、漫画で使っているうちにみるみるデジタルの割合が増えていった。当時はまだゲームや漫画でペイントソフトのPainterを使って描いている人は少なかったので目立ったけど、イラストレーターの先輩たちには既に使っている人がたくさんいて、パソコン通信のニフティサーブとかで情報をもらいながらやっていたね」
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