デジタルの絵が持つ、完全に地上から消えてしまうというイメージも嫌いじゃない――寺田流「デジタル絵画の変遷」寺田克也さんに聞く(2/4 ページ)

» 2021年08月05日 12時00分 公開
[村田らむITmedia]
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Macと板タブとPainterがあれば仕事になると確信

 時代は進み、寺田さんは阿佐美を卒業して、プロのイラストレーターになった。

 プロとして数年が過ぎた頃、PCでグラフィカルなことができるようになって来始めた。ただ初期のMacintosh(現Apple、当時はApple Computer)は周辺機器までそろえると400万円以上もしたため、「まだまだ駆け出しで貧乏な」寺田さんには導入できなかった。

 「友達が阿佐美の講師をしていて、そのつてで学校に設置されたマシンに触らせてもらった。Adobe(当時はAdobe Systems)Photoshopのバージョンがまだ1.0だった。フルカラーだと重たすぎて、まともに描けなかったからグレースケールで。マウスで線を引いてもぼかす、というのを繰り返して絵を描いてみて、何とかフォトリアルなものは描けそうだなと

 その後Appleからエントリーモデルである「Macintosh LC III」が発売された。

 50万円と、当時にしては低価格だった。

 「小さい画像ならフルカラーで絵が描けた。初めてデジタルで商業誌に描いたのは、『月刊アスキーコミック』の『バーチャファイター』のキャラクターの折り込みグラビア。当時はデータでの入稿は対応していないからって断られてたけど、さすがは電子系の出版社で『データでいいですよ』と言われてMOディスクで納品した

 そうこうしているうちに出版社、印刷会社のデジタル化は進み、徐々にデータ入稿がOKになっていった。

 「Macとワコムの板タブレットとPainter(Fractal Design、現Corel)があれば仕事になると確信した。それでPower Macintosh 8100を買った。マシンだけを秋葉原に買いに行って100万円ちょっとしたかな。完全に仕事前提だったから、ついに仕事道具を買ったという感じ

 線画はアナログの鉛筆で紙に描いて、それをスキャンしたものにデジタルで色をつけて、という工程を確立した。

寺田克也SKETCH 2009年4月に行われた、Painter 11発表会でゲストに招かれた寺田さんが実演したときの模様

 筆者は当時、寺田さんの真似をしてPainterを購入する人が多かったのを覚えている。

 寺田さんはその後、月刊『ASCII』にて、バーチャファイターの漫画を連載することになった。また、『ウルトラジャンプ』が創刊されて『西遊奇伝・大猿王』の連載が始まった。

 どちらの連載も基本的にはフルデジタル、フルカラーで描かれた。

 「アナログとデジタルを使い分けようと思っていたけど、漫画で使っているうちにみるみるデジタルの割合が増えていった。当時はまだゲームや漫画でペイントソフトのPainterを使って描いている人は少なかったので目立ったけど、イラストレーターの先輩たちには既に使っている人がたくさんいて、パソコン通信のニフティサーブとかで情報をもらいながらやっていたね

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