―― 最初のマイクロピエゾ方式であるMACHを採用したインクジェットプリンタ「MJ-500」が、1993年3月に発売されました。そして1994年6月には、世界で初めて720dpiを実現したカラーインクジェットプリンタ「MJ-700V2C」を発売し、いずれも大きな話題となりました。
碓井 MJ-500(海外では「Epson Stylus 800」)の製品発表は1992年12月で、日本ではなく台湾が最初だったんですよ。台湾は当社にとって、当時から重要な市場の1つでした。米国でも日本に先行する形で1992年12月に発売されています。
MJ-500はサーマル方式に比べて高い噴射圧により、安定したインクの飛翔(ひしょう)を得られ、優れたドット形状を確保できることを訴求しました。また、MJ-700V2Cでは、従来比で100倍もの速乾性を実現した新開発の超浸透インクによって、カラー印刷におけるインクの混色やにじみを解消し、高い表現力を実現しました。720dpiへの対応も、MACHならではの自由度が生かされています。
一方で1995年にはMJ-500CおよびMJ-800Cを発売し、1996年10月にはMLChipsを採用し、写真画質を追求したPM-700Cを投入しました。PM-700Cでは銀塩写真に迫る高画質と、かつてない高速印刷を目標にヘッドやインクも進化させることで、圧倒的な高画質を実現することができました。
フォト印刷は、サーマル方式に比べてマイクロピエゾ方式の特徴が生かせる領域です。これにより、「フォト印刷=エプソン」のイメージが定着し、写真画質の追求をさらに進め、市場をリードしていきました。MACHやMLChipsは、こういった旺盛な需要とともに、生産プロセスの改善や設計上の工夫によって、生産コストが下がり、プリンタ本体価格が下落する中でも、それに対応できる競争力を高めていきました。
―― 碓井会長がエンジニアとしてマイクロピエゾの開発に関わった際に、どんなことにこだわっていましたか。
碓井 当時を振り返って最近になって気がついたのですが(笑)、新たなことに挑戦する際には、そのプロジェクトを束ねるリーダーであっても、マネージするという姿勢は駄目だなということです。
マネージするというのは、他人事のような姿勢でプロジェクトを見ることになります。マイクロピエゾを開発していたときには、自分の技術という意識を持って、自分ごととしてオーナーシップを持って取り組んでいました。だからこそ、短期間にマイクロピエゾをモノにできたのだと思います。
ただ、懸念材料もあります。当社が新たなプリンティング技術に挑戦したのは、PrecisionCoreの開発をスタートした2003年の「Pプロジェクト」(ピエゾプロジェクト)が最後で、既にそこから20年が経過しています。もちろん、MACHやMLChips、PrecisionCoreも少しずつ進化をしているのですが、確立された技術ですから、大きなイノベーションを起こすというわけではありません。
言い換えれば、プリンティング事業に携わるエンジニアはイノベーションの経験がないともいえ、新たなことに挑戦するときに、どうリスクを取るか、技術開発と事業のバランスをどう取るか、ビジネスにどう育てていくか、競合に対して遅れることなく、スピーディーに事業化できるかといったノウハウや蓄積がありません。この経験をしっかりと継承していくことが大切だと思っています。
また、KHプロジェクトは2年半で量産化につなげましたが、これも培ってきた技術基盤やノウハウがあったからこそ、実現できたものでした。別の見方をすれば技術基盤やノウハウがあったのに、なぜそれまではできなかったのかという課題も浮き彫りになります。
もっと早い段階で、どこにフォーカスするかを明確にして方向づけをし、ビジョンとしてまとめあげるべきだったという反省があります。全体の方向が一致しないといいものにたどり着かず、事業としては成功しません。
これからは社会や産業に、インクジェットを実装していかなくてはならない段階に入ります。ハードウェアを作るだけでなく、社会的価値として実装するところに新たな知恵が必要です。そこにチャレンジすることにフォーカスし、全体をまとめ、向かっていくことが今のエプソンには大切です。
−後編へ続く−
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