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» 2014年08月25日 11時00分 UPDATE

小寺信良「ケータイの力学」:子供へのネット規制の歴史(2) (1/2)

国によるネットの規制強化から教育現場でのケータイ一律禁止、そして震災後に変わったSNSへの視線、ソーシャルゲームの勃興とLINEに代表されるつながり依存の解明。2009年から現在までの、子供とネットを取り巻く環境をまとめた。

[小寺信良,ITmedia]

 永らく続いた本連載も、今回をもって終了である。最終回となる今回は、前回に引き続き、子供へのネット規制の歴史をまとめておこう。

 2008年に、ネット事業者を巻き込んで大激論となった青少年インターネット環境整備法(以下、環境整備法)だが、初期の私案はかなり無茶なものだった。2008年2月、最初に打ち出したのは当時の民主党 高井美穂衆議院議員だが、大枠を定義しただけで、まだ細かいところは詰まっていない印象であった。

 一方自民党 高市早苗議員を中心とした一派が提示した議員立法案は、内閣府内に別途委員会を設置して、ネット上の全コンテンツについて有害か無害かの判定基準を作って運用するというものだった。有害判定を受けたサイトは、サイトを会員制に移行するか、自分でフィルタリング会社にアクセス制限を申請することを義務化する。ISPや携帯キャリアには、18歳未満にフィルタリングを義務化し、是正されない場合は罰金や懲役刑も設ける方向で調整が進んでいた。

 ここで我々は、インターネットを脅威とみなす国会議員がいれば、その情報は国によって検閲され、簡単にアクセスが禁じられる可能性があることを学んだ。つまり何が有害かの判定を国が行なうのならば、子供を守るという大義名分のもと、国にとって都合の悪い情報はなかったことにされるという、国民の知る権利や言論の自由、通信の秘密といった憲法で規定された国民の権利すら危うくなる、ということである。

 結果としてこの法案はかなり丸められ、現行法となったわけだが、これが施行された2009年から、子供に対する安心・安全への取り組みは、大きく転換していくことになる。

2009年 〜規制強化の時代〜

 環境整備法が施行される前は、インターネット規制派も推進派も勢力が拮抗していた、というか決め手がなかったわけだが、法案が可決されて以降は規制派が大きな勢力となり、推進派は防戦一方となった。

 2009年1月には、文科省から各国公立校に対し、小中学校は携帯電話の学校持ち込みを禁止、高校は授業中もしくは学校内での携帯電話の使用を禁止せよという通知が出された。

 これは文科省が独自に決めたというよりも、学校側から「携帯電話のことは教えられないので、持ってこないよう禁止にしてくれ」と泣きつかれて出されたものであるというのが、当時の担当官の説明であった。

 この通知はいまだに撤廃されていないので、今もなお国公立小中校では持ち込みは原則禁止、高校は授業中もしくは校内での使用は禁止されているはずである。一方で私立校は、各都道府県知事の判断により周知、指導するという程度なので、利用を許可しているところも多い。この時から公立校と私立校で、子供達のネットリテラシーに差が出始めることになる。

 2009年2月には、環境整備法で規定された、インターネットの利用環境を整備するための民間におけるさまざまな取り組みを行なう拠点として、安心ネットづくり促進協議会が発足した。ケータイキャリアやISP事業者、ネットコンテンツ企業らが中心となり、さらには消費者団体やPTAらも加わり、安心・安全のための技術的な取り組みと、リテラシー教育や啓蒙活動の両輪で現在も活動を続けている。

 環境整備法が施行されたのは、2009年4月のことである。これに便乗する格好で、各都道府県が青少年健全育成条例やそれに類する条例を改正して、子供達へのネットアクセスを規制する方針を打ち出してきた。もっとも大きな騒動となったのは、東京都の条例改正案だろう。

 これは表現規制、アニメやマンガの表現まで児童ポルノとして規制する「非実在青少年」の問題で大騒動となったが、それと同時に東京都が携帯電話基準機を設定するとか、青少年のネット利用が不適切ならば保護者に知事が指導できるといった内容が含まれていた。この部分は、あまりにも非実在の問題が大きすぎてほとんど注目されていなかったが、筆者らがつくるインターネットユーザー協会で意見書を提出するなどして、反対した。

 また石川県の「いしかわ子ども総合条例」にて、小中学生に携帯電話を持たせない努力義務を保護者に課すという改正案が成立、翌年から施行された。これをきっかけにいくつかの自治体が、青少年の携帯規制を前提に、条例改正のブームが起こった。

 ただ石川県の条例は、多くの有識者からも行きすぎという意見が多く、明確に不所持を宣言したところは、後にも先にも石川県以外にはなかった。逆に言えば、行きすぎた石川県があったことで、「何かおかしい」と多くの人が気づく結果となり、規制一直線だった世論が反転しはじめた。

2010年〜2011年 〜規制反転の時代〜

 日本PTA全国協議会および全国高等学校PTA連合会が、携帯規制派から徐々にリテラシー教育派に転身しはじめたのは、2010年の大きな動きであった。もちろん各都道府県に支部を持つ巨大組織であるが故に一枚岩ではなかったが、たまたま当時の両会長が、子供のネットの利用に対して理解のある土地柄である九州地区の代表だったことも、功を奏した。

 その背景には、2009年の文科省の通知を盾に、学校が子供の携帯教育を放棄したことがある。学校が教育を放棄することなどあってはならないとして、保護者側が猛烈に反発した格好だ。これをきっかけに、学校でもネットリテラシー教育を行なわざるを得ない状況となっていった。

 私立校の目立った取り組みとして、兵庫県の須磨学園が、学校基準の「制ケータイ」の導入を開始したのも、この頃である。当時からゆくゆくはスマートフォンの導入をにらんでおり、実際に2013年に導入を試みたが、子供がスマホを初期化してフィルタリングを外すという事例が多発したために、携帯電話へと戻すことになった。予想外の事態ではあったが、学校で公式に通信機器を持たせて学習と生活に活用するという方法論を樹立した功績は大きい。

 時間が少し戻るが、2009年2月に出会い系サイト規制法(インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律)が改正され、児童でないことの確認方法が厳格化された。これの影響で、当時子供達の間で人気だったケータイSNS、いわゆるモバゲーやGREEといったサービスに大人が流入する事態となっていった。

 2010年にはこれらのサービスを「非出会い系」と称し、厳しくなった出会い系の受け皿となっているとして、警察の圧力が高まっていった(関連記事)。これらの事業者は、最初はサービス内のミニメール機能は私信であるとして、内容の確認を拒んできたが、最終的には「私信ではない」と方針を転換することとなり、通信内容がフィルタリングされるようになった。

 当然利用者からの反発もあり、これらのサービスはSNSとしては機能しなくなっていく。その代わりとして、携帯でできる簡単なゲームを提供する、ソーシャルゲームのプラットフォームとして転身してゆくことになる。

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