ThinkPad伝統の7段配列キーボード……こんな風なことを最初に言い出したのは誰なのだろう。少なくとも、16年ほど前、筆者がこの業界に入った時にはすでにThinkPadのキーボードに対する定番の表現として定着していたと思う。
クラシックThinkPadが7段キーボードをやめたことについては、ここ1〜2年ほど、さまざまなところで語られている。一新したこと自体にそれほど異論はない。しかし、どこを見てもどうしてももやもやした感じがつきまとう。「配列自体に特に思い入れはないが、7段配列へのこだわりや7段配列を否定されると何だかね」……そんなもやもやを感じている人もいるのではないだろうか。
筆者もそうだ。何か7段にこだわるのは過去を引きずっている古い人間、時代に適応できない人種、そんな風に言われているような気がしてならない時があるのだが、そんな空気には全力で反発したい。しかし、自分としても配列そのものには特にこだわりはない。それでもやはり、無性に腹立たしいこの感情は何か。その答えは、ThinkPadにおける「7段配列」は単にキーボードの配列だけを表している言葉ではなくなっているからだ。
筆者の解釈では、7段配列キーボードという言葉が表現していたものは「配列」のみではなかったと思うのである。もちろん、配列そのものに価値を見出していた人がいなかったわけではないだろうが、決してそれだけではない。配列、タッチ感、小型モデルでも変わらぬ均等ピッチ(その後そうではなくなったが、変則キーボードが横行していた時代には意義があった)、そしてバタフライキーボードのようなものまで作ってしまう偏執的なまでのこだわり、それらすべてひっくるめて「ThinkPadのキーボードへのこだわり」を表現する言葉であり、象徴であり、看板のような存在であったのではないかと思うわけである。
7段配列神話のようなイメージができているのも、それだけThinkPadのキーボードに特別なこだわりを感じるものであったからだ。それを捨てた意味は軽くない(いまだに筆者のように一言もの申したい人間が出てくることでも影響の大きさは伺いしれよう)。
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