新型コロナウイルスの感染拡大により、多くの場面で人と人との直接の接触は減り、出会いの機会は激減した。一方でその状況を補完し、商機を見いだしているのがマッチングサービスを手掛ける企業だ。中でも大手のTinderはコロナ禍でも順調に売り上げを伸ばした。
同社は「出会い系」というイメージからの脱却を図るべく次の一手を模索している(「出会い系からの脱皮」図るTinder メインユーザー「Z世代」を巻き込むために必要な施策とは?参照)。今後のビジネス展開について話を聞いた前編に続き、4月にTinder Japanのカントリーマネージャーに就任したチョウ・キョ氏にインタビューした。
――チョウさんは中国、日本、米国と世界を股にかけて活躍してきましたね。簡単にキャリアを教えてもらえますか?
中国の貴州省で生まれました。北京第二外国語大学で日本を専攻して2007年に卒業しました。川端康成、夏目漱石など日本の古典はたくさん読みましたし、芥川龍之介の『羅生門』はよく覚えています。
――日本の小説を読んで何を感じましたか?
作家によって変わりますが、例えば『伊豆の踊子』は、展開としてはドラマチックなものではないですが、心の動きを描写しているのは特に日本らしいと感じました。
――その後、早稲田大学院に留学していますね。
早稲田大学院では国際関係学を学びました。その後、米ジョージタウン大学にも留学し日本、中国、米国を中心とした国際関係について研究しました。2011年に日立製作所に入社しています。日立とはボストンキャリアフォーラムで出会いました。
――そのまま米国で働くことや、中国に戻って働く選択肢もあったと思いますが、日本に戻った理由は?
日本が好きだったからです。私たちの世代は幼いころから『美少女戦士セーラームーン』のアニメを見たり、『SLAM DUNK(スラムダンク)』を見たりしていました。特に私はバスケットをしていたのでスラムダンクは好きでしたし、日本文化全般が好きでした。計画的に日本に来るというよりは自然に来日した感じです。実際に生活してみて、本当に好きだなと実感したのです。
――日立を退職後はどんなキャリアを歩みましたか?
デザインが好きだったので、プログラミングを独学で勉強して、ウェブデザインをできるようになりました。なぜデザインを学んだかというと、「実際に自分で作れる」のは強みになると考えたからです。
実際に使うものですから、サイトを開設させるにしても、その仕組みが分からないとどうにもなりません。その後、知り合いからウェブ制作の仕事をもらいながらフリーランスのような形で働いていました。その後、「WorkHub」という会社をビジネスパートナーと一緒に起業しました。
――そのビジネスパートナーとはネットで出会ったのですね。
大学生の時にカメラや写真が好きで、オンラインのカメラのコミュニティーに入りました。その中で、ある中国系オーストラリア人と出会いました。その方は、本当にプログラミングに精通していて、意気投合しました。カメラ以外の話もするようになりました。
その後、私が日本と米国に留学し、相手も中国に行ったりしながら、会わずに10年くらいコミュニケーションを取っていました。あるきっかけで、東京で会うことになり「起業したい」と話し、そのまま一緒に起業しました。その会社は5年間経営しました。
何でもなかった出会いから起業をするという体験をして、本当に不思議だと感じましたね。
――WorkHubとはどんな会社でしたか?
Slackのような、B2Bの社内コミュニケーションツールを開発した企業です。なぜこれをやろうと思ったのかというと、ウェブ制作をしていた時の経験からです。中国政府機関、金融サービス、日本のクリニックのニーズを聞いているとLINEやWeChatのようなアプリは便利だけど、サードパーティーのサーバにデータを上げるのでセキュリティが不安だという声が上がっていたのです。
でもメールは時代遅れでした。効率的にコミュニケーションを取りたいニーズに応えるため、プライベートクラウドで動くSlackやSNSのようなものを作ろうと思ったのです。
――チョウさんにとっては外国で起業したわけですから、簡単ではなかったと思います。
まだ開発中のサービスだったのですが、シリーズCラウンドまで資金調達をしました。次のラウンドでの資金調達は16年末ごろだったのですが、中国のどのベンチャーキャピタル(VC)からもお金が出ない状況でした。30社ほど回りましたが、1社からも調達が決まりませんでした。幸い、オンライン医療のアプリを作っているサービスがあり、私たちのツールの一部が使えるということでバイアウトしました。
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