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カセットからフロッピー、そしてハードディスクを制御するSASI、SCSI、IDE、ATA、SATA――さまよえるストレージ用インタフェース標準を語る“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/5 ページ)

» 2022年01月12日 13時06分 公開
[大原雄介ITmedia]

 昔ながらのIBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく連載。第15回はちょっと目先を変えて、ストレージ用インタフェースの進化について。


 今月の話はちょっと寄り道で、ストレージ用インタフェースの話をしたい。

 そもそもマイコンが世の中に生まれた時、つまりこの連載の初回の頃には、プログラムを打ち込んでも、それを格納したり、そこから読み出すための機器は標準では用意されていなかった。

 最初のPCと言われているAltair 8800にしても、入手した直後はフロントパネルに16個並んだスイッチをオン/オフしながら1ByteずつプログラムをRAMに格納していく(NECのTK-80は16進のキーがついてるだけ便利、と最初見たときに思ったほどだ)しかできず、電源を切ると打ち込んだプログラムはパーになる。

 大型の計算機(メインフレームやオフコンなど)では、紙テープやパンチカード(マークシートもあった)、さらにお高いシステムでは磁気テープドライブを利用してプログラムの格納・読み出しやデータの入出力が可能になっていたが、そんなものはもちろん、マイコンでは使えない。

カセットテープ時代とKansas City standard

 幸い、もう少し現実的な方法がすぐに一般的になった。当時はどこのご家庭にもあったカセットテープレコーダーを利用してプログラムを保存する方式で、記録速度は300baud(つまり1秒に300bit=37.5Bytes/sec)。この方式はさまざまなマイコンで採用された。

 当時創刊されたばかりのByte誌が、この記録方法の統一を呼び掛けて1976年に米国カンサス市でシンポジウムを開催したことにちなみ(写真1)、この300baudの記録方法はKCS(Kansas City standard)と呼ばれている。

photo 写真1:Byte誌に掲載されたシンポジウムのレポート。Internet Archive収録のByte Magazine Volume 00 Number 06より

 残念ながらもっと速度を出せる組み合わせが大量に出てきたことでこのKCSは普及しなかった(というか、すぐに独自規格に移行してしまった)が、現実問題として、異なる機種間でカセットテープを使ってデータ交換するというニーズがほとんどなかったから困らなかった、ともいえる。

photo MZ-80K2に内蔵されていたカセットデータレコーダー

 このカセットテープの時代は長く続いた。1983年に大学に入学した折にPC-9801を購入したが、予算の関係でCRTディスプレイの画面は200Line(640×200ピクセル)、漢字ROMも入れず、その代わりにFDD(フロッピーディスクドライブ)を組み合わせた(もちろん純正は買えないので、どこかの互換品)。同級生にも何人か大体同じ予算でPC-9801を買った人間がいたが、彼らは400Line(640×400ピクセル)表示で漢字ROMを入れたため予算がオーバーするのでカセットテープインタフェースという組み合わせだった。

 そのちょっと後にMSXが普及したが、やはりカセットテープを使っているユーザーが圧倒的に多かった。

 そうしたユーザーがFDDに移行するのは大学3年になったころだから、1986年辺りだっただろうか? PCでワープロや表計算を使うようになると、さすがにカセットではどうにもならないといった理由だったと思う。

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