“赤い金”にあこがれて――純銅製CPUクーラーと戯れる:矢野渉の「金属魂」Vol.6

» 2009年11月13日 16時30分 公開
[矢野渉(文と撮影),ITmedia]
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たったの2億円で済みましたよ

 「ぼくは生まれてからこのかた、働いたことがないんです」

 まったく嫌味を感じさせず、そんなことをさらりと言ってしまう人間を、僕はこの時初めて見た。場所は箱根の強羅。総ヒノキ、総平屋の広大な一戸建てだ。ここに、くだんの老夫婦が住んでいるのだった。

 資産運用を勧める小冊子の中の企画「お宅拝見」という読み物の撮影のために、僕はこの家を訪れたのだ。その時にいっしょに行ったのは50歳代のライターで、こういうインタビューにはぴったりだった。リビングの広さ(30畳ぐらい)を褒め、暖炉のセンスのよさを褒め、この70歳過ぎの老人の心をつかんでいった。

 「時に、こちらの屋根は……」とライターが切り出す。実は僕も最初から気になっていたのだが、深い緑色の屋根は、瓦ではないし、その正体が分からなかった。

 「銅ですよ」老人がニコニコと答えた。掛かった金額をたずねた時に、冒頭の発言が飛び出したのだ。

 「収入は相続した財産のみです。ワイフと2人のつましい生活ですから、そんなに大金を住宅には掛けられません。銅の相場が下がるのを待ってまとめ買いしたのでね、2億で済みました」

 本物の金持ちとは、このような人々を言うのだろう。お金に執着などないから、むしろすがすがしい感じさえする。

 帰りは奥さんが車で駅まで送ってくれると言う。時速10キロほどで坂道をヨロヨロと降りていくブリティッシュ・グリーンのベントレー。その後部座席で、僕は軽い疲れを感じていた。あの、緑青(ろくしょう)をふいて鎮座していた、渋い緑色の銅の屋根。僕は一生かかってもあの屋根の部分さえ買えないのだなと思うと、銅の存在はとても遠いものに思えた。


PCショップで“赤い金”にのめり込む

 ところが、ひょんなことから僕は COPPER(銅)に夢中になる。それもPCショップでだ。

 CPUのクロックアップが爆発的にはやったのは、Pentium IIIぐらいまでだったろうか。最高速のCPUが常に15〜10万円ぐらいの値段だったころだ。3万円ぐらいの低クロックのCPUの中にも、場合によっては高速でも動くものがあるということが分かると、とりあえずクロックアップを試してみるのが当たり前になる。うわさを聞きつけてはロットナンバーやS-SpecでCPUを探したりしたものだ。マレーシアよりコスタリカ(CPUに刻印された製造地)のほうがクロックアップ耐性が強い、などという迷信がまかり通っていたのもこの時代だ。

 クロックアップは、CPUの電圧を上げて動作を安定させる。当然、発熱量が増す。熱暴走を防ぐためにCPUを強力に冷却する。安定したところでまた少しクロックを上げ、さらに冷やす……、この繰り返しだ。僕はいったい何種類のCPUクーラーを試したのだろう。よく冷えると評判のクーラーはほぼ全部買ったし、それに飽きたらずに冷却ファンを大型で強力なものに交換したりしてテストを繰り返した。

 そして最終的にたどり着いたのが、この純銅製のCPUクーラーだったのだ。それまではアルミ素材が中心だったクーラーに銅が使われ始めたのは、僕の記憶ではクーラーマスターの「ガリレオ」という製品が最初だったと思う。それはフィンの部分はステンレスだったが、直接CPUに触れるプレートと、そこから伸びてフィンにつながるヒートパイプが純銅製だった。僕はこの銅の色と存在感にすっかりやられてしまったのである。銅の熱伝導率のよさは広く知られたことであり、なによりも見た目の高級感が抜群だった。

 写真のクーラーは、上がPentium III用、下がPentium II用だ。それぞれ400グラム、600グラムの重量がある。今でこそ、1キロオーバーの全銅製クーラーも存在するが、その多くは銅の薄板を使ったものだ。金属の表面積を増やせばそれだけ冷却効果は高まる。それは分かっているのだが、どうにもカタチが美しくない。せっかく比重の重い銅が、軽薄な金属に見えてしまうのだ。

 このころのものは純銅の鋳物が主流で、金の延べ棒のような「カタマリ感」がある。そしてこのコンパクトな塊を鉄やアルミの感覚で持ち上げると、一瞬オッと声をあげてしまうほどの持ち重りがある。銅の比重の重さを簡単に実感できるうれしさがあるのだ。

 「赤い金」とはよく言ったもので、銅には人を惑わす魅力があるようだ。このクーラーの弱点といえば、「冷えまクーラーmini」というユル〜い製品名ぐらいだろう。とにかく僕はこのCPUクーラーを手にしてから、取りつかれたようにクロックアップにのめり込んでいった。

 本来、6センチ角のファンを取り付けるネジ穴が切ってあるが、そこに8センチ角ファン用のアダプタを付け、デルタのFFB0812EHEという、5700rpmで52.5デシベルの超強力ファンを装着した。そして何度もクロックアップを繰り返した。深夜に掃除機をかけるのはやめろ、と妻が勘違いをして僕の部屋に怒鳴り込んできたのもこのころだ。

 その時の僕は、もうクロックアップなどどうでもよく、ただ単にこの純銅製クーラーとの深夜の会話を楽しんでいただけなのかもしれない。なにが楽しいのかと聞かれても、うまくは説明できないのだけれど。

 もう役目を終えたクーラーは、それでも僕のそばにある。写真立てに使う。文鎮に使う。そして時々磨き、持ち上げる。それだけで満足だ。昔見た銅の屋根には及ばないが、小さな銅のある生活は、意外に悪くない。

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