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「VAIO SX14-R」の“ふるさと”見学記 ノジマグループ参画後も進化が続く“物作り”(1/4 ページ)

» 2026年02月05日 18時30分 公開
[大河原克行ITmedia]

 先日、VAIOが安曇野本社(長野県安曇野市)において、報道関係者を対象とする企業説明会を実施した。説明会では新社長の糸岡健氏による新体制の方針説明の他、安曇野本社内にある本社工場の見学ツアーも行われた。

 見学ツアーでは、モバイルノートPCの最上位モデルで、最軽量構成なら1kgを切る重量を実現した「VAIO SX14-R」の生産ラインと、環境試験の様子を見ることができた。

 生産ラインは単に生産性や効率性を追求するだけでなく、工程の各所に人やカメラ/センサー/ロボットなどを活用した検査を組み込み、徹底した品質向上に取り組んでいるのが特徴だ。

本社工場 VAIO安曇野本社の正面入口
2階からの眺め 安曇野本社2階の食堂横のバルコニーからの風景。中央の雪山が常念岳(標高2857m)だ。この風景は「安曇野FINISH」を示すカードに押印されるスタンプなど、さまざまな場面で利用されている

安曇野本社は「VAIOの里」

 VAIOの安曇野本社は、長野自動車道の安曇野インターチェンジから自動車で約15分、鉄道を利用するとJR大糸線の豊科駅から徒歩約20分の距離にある。

 安曇野本社の工場は、ソニー(現・ソニーグループ)の時代からVAIOの生産拠点として稼働してきた。入口にはVAIO事業に深く関わった安藤国威氏(ソニー元社長)による「VAIOの里」の碑が設置されている。

VAIOの里 安曇野本社の入口にある「VAIOの里」の碑は、2009年にソニーの安藤国威社長(当時)によって設置された

 この工場はVAIOが誕生するはるか前の1961年10月に、東洋通信工業の「豊科工場」として操業を開始した。2026年で操業65年目を迎える、歴史を持つ生産拠点である。

 東洋通信工業の豊科工場は、1974年に「長野東洋通信工業」として分社した上でソニーの完全子会社となった。分社当時は「Liberty」シリーズなど、ソニーのオーディオ機器を中心に生産していたが、1983年からはソニーのMSXパソコンやマイクロコンピュータ「SMC-777」の生産を開始し、1986年にはUNIXワークステーション「NEWS」、1989年には「AXパソコン」(※1)の生産も開始している。

(※1)編集注:PC/AT互換機にハードウェアベースの日本語表示機能を搭載したPC。ハードウェアベースの日本語表示というと、日本アイ・ビー・エムが手掛けた「PS/55」や東芝(現・Dynabook)が手掛けた「J-3100」も思い浮かぶが、いずれも日本語アプリの互換性がないことが課題だった

 さらに同社は、ソニーブランドのパームトップコンピュータやワープロ専用機の生産のに加えて、他社のノートPCの受託生産も開始した。非接触通信カード、リチウムイオン電池パックの生産の他、1999年からはロボット犬「AIBO」の生産も担った。1997年からはVAIOノートPCの生産も開始した。

 ソニーは2001年、国内の生産子会社を「ソニーイーエムシーエス」(現・ソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ)に一本化した。このことに伴い、長野東洋通信工業はソニーイーエムシーエスの「長野テック」に改組された(後に「長野テクノロジーサイト」に改称)。

 先述の通り、当地でのVAIOの生産はノートPCから始まったが、2005年からはソニーイーエムシーエスの木更津テック(千葉県木更津市:現在の木更津サイト)からデスクトップPCの生産移管を受けた。さらに、2010年にはソニーがVAIO事業本部を当地に移転したことで、VAIOの設計/開発から生産までを一本化した体制が整った

 2014年、ソニーがVAIO事業本部を「VAIO株式会社」として分社する際に、長野テクノロジーサイトは分社したVAIOに譲渡され、本社機能を始めとする全機能が当地に集約された。2025年にノジマグループ入りした後、VAIOは東京との2本社体制となったが、登記上の本店は安曇野本社のままで、物作りに関する体制はそのまま維持されている。

入口 安曇野本社の入口には、同地で生産されたエポックメイキングな製品を展示する「VAIO Museum」が設置されている。見れば分かる通り、ソニー時代に生産していたものも展示されている
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