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» 2009年10月08日 21時30分 公開

樋口健夫の「笑うアイデア、動かす発想」:オヤジの会社の再建計画、俺に作らせてくれ

大学2年の夕方、大学から帰宅すると当時高校生の弟しかいなかった。店の入り口は閉まっていて、「誰が来ても家に入れてはいけない」と両親からの書き置きがあった。家業が倒産したのだった――。

[樋口健夫,Business Media 誠]

 倒産は、突然やってきた。

 大学2年の夕方、大学から帰宅すると当時高校生の弟しかいなかった。自宅を兼ねた店舗だったが店の入り口は閉まっていて、「数日間、自宅で待機しろ。誰が来ても家に入れてはいけない」と両親からの書き置きがあった。

 京都で和装関係の卸売りを商っていた父が、手形の連帯保証人になったために倒産に追い込まれた。幸いにして、債権者の好意もあり、個人商店を式会社化して、仕事を再開できた。再建の手続きもスムーズに進み、思ったより早く新会社は業務を始めた。破産の当事者であった父はすぐに社長にはなれず、実質的な仕事は仕切っていたが、社長は母が就任した。

 仕事の再開から数週間経ったある日のことだ。筆者は父親に「ちょっと時間あるかな。父さんの会社の経営計画を書いてみたよ」と声をかけた。事業再建にあたり、筆者は父の仕事に関しての計画書を書いてみようと考えたのだ。新しいノートに、できたてでホヤホヤの会社の名前を書いて、筆者は経営計画のようなタイトルを書いた。「ほう、じゃあコーヒーでも飲みながら話すか」と2人で近所の喫茶店に入り、大学ノートに書き留めた個条書きの提案を父親に渡した。

 この提案では、和装業界に対する筆者自身の展望と、今後、父の会社はどのような事業に特化すれば良いかと筆者の思いを書き留めた。いくら京都であっても、和装業界は長期的に市場がどんどん縮小していた。従って、単価の低いもの、付加価値の小さなものを扱っていたのでは、ビジネスは伸びない――と考えていた。提案の中で最も大切な個所は、和装の「誂え(あつらえ)」という商売の形態だった。

 高価な着物を呉服屋さんで新調すると、必ず端切れが出る。なので、その端切れを使って、ハンドバッグや財布や草履、鏡入れ、帯留めなど、さまざまな小物を誂えるというコンセプトであった。倒産する以前に、父が京都市内の大きな呉服屋さんから、時々この種類の仕事を頼まれていたものを注目していたのだ。利益率も高い。この誂えを事業の柱として成長させてはどうかと提案したのだ。

 「うん、良くできている。特に誂えは面白い」。提案書を読み終わって、父は大好きなコーヒーを飲みながらつぶやいた。真面目な父親で、いつも自分なりの考えで仕事をしていた。いくら筆者が大学生だからといって、こちらの提案をすんなり聞いてもらえるとは思っていなかった。倒産という経験が、父親を少し丸くさせたのかもしれない。

 その後、父親は京都市内の呉服屋さんすべてを回って、この誂えの仕事を提案して回った。後には簡単なパンフレットを作成して、それを多数の呉服屋さんに配布し始めた。かなりの反応が出始めた。呉服屋さんからの注文が急増してきた。

 株式会社化して再開したが、いきなり倒産前よりも売り上げをあげた。翌年は前年度から40%増。それを5、6年続けた。誂えは、着物のトータルファッションとなり、呉服屋さんが直接手がけないニッチであったことから、需要は大きかった。

 その後に父が社長に戻って、事業は続いた。従業員も増え、経費も増えたが、営業の範囲を大阪から山陰まで伸ばしていった。仕事は忙しそうだったが、それでも面白くて仕方がないという父は幸福そうだった。事業が軌道に乗ったおかげで、筆者も弟も大学を卒業できた。筆者は商社に入社し、結婚し、海外駐在となった。弟は大学に残った。後に、父はこの会社を知り合いに売却し、完全に引退して旅行や趣味を続けていたが、母親と同時期にガンが見つかり、他界した。

 父が最後まで自慢していたのが、債権者への負債を割り引かないで、きちんと全額返済したことだった。筆者にとっては計画マンの最初の計画が父親の事業だったことも今となっては素晴らしい思い出だ。この時のノートは父に渡したきりで、どこに行ったか分からない。だがこんな経験から、最悪と思える状態のときこそ新しい計画をノートに書き始めるときだというのが筆者の信条になった。

今回の教訓

 父に渡したのは“天国への計画書”――。


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著者紹介 樋口健夫(ひぐち・たけお)

 1946年京都生まれ。大阪外大英語卒、三井物産入社。ナイジェリア(ヨルバ族名誉酋長に就任)、サウジアラビア、ベトナム駐在を経て、ネパール王国・カトマンドゥ事務所長を務め、2004年8月に三井物産を定年退職。在職中にアイデアマラソン発想法を考案。現在ノート数338冊、発想数26万3000個。現在、アイデアマラソン研究所長、大阪工業大学、筑波大学、電気通信大学、三重大学にて非常勤講師を務める。企業人材研修、全国小学校にネット利用のアイデアマラソンを提案中。著書に「金のアイデアを生む方法」(成美堂文庫)、「マラソンシステム」(日経BP社)、「稼ぐ人になるアイデアマラソン仕事術」(日科技連出版社)など。アイデアマラソンは、英語、タイ語、中国語、ヒンディ語、韓国語にて出版。「感動する科学体験100〜世界の不思議を楽しもう〜」(技術評論社)も監修した。近著は「仕事ができる人のアイデアマラソン企画術」(ソニーマガジンズ)「アイデアマラソン・スターター・キットfor airpen」といったグッズにも結実している。アイデアマラソンの公式サイトはこちらアイデアマラソン研究所はこちら


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