スティーブン・スピルバーグ監督の最新作、「マイノリティ・リポート」に、未来のワン・トゥ・ワン・マーケティングを描いたシーンが出てくる。トム・クルーズ演じる主人公のジョン・アンダートンがデパートに入ろうとすると、3D映像が「いらっしゃいませ、アンダートンさん」と語り掛けてくる。光センサーが眼の中の虹彩を一瞬にして読み取り、個人を特定(バイオメトリクス認証)しているからだ。映画の舞台は2054年のワシントンD.C. 。しかしこうした光景は、50年もたたずに目にすることができるようになるかもしれない。そのカギとなるのは、現在急速に普及が進みつつあるICカードである。
交通系での採用が呼び水
ICカードには大きく分けて2つの種類がある。読み取り時にカードを端末に密着させる必要のある接触型と、カードを端末にかざすだけで読み取りができる非接触型だ。このうち使い勝手の良さから、将来主力となりそうなのは非接触型の方だ。あるICカードメーカーの予測では、非接触型ICカードの国内出荷枚数は、2002年には約3000万枚程度だったが、2005年には1億5000万枚に急増するという。
非接触ICカードの中には、数mの距離からでも端末との読み取り動作を行うことができるタイプのものもある。これを利用すれば、わざわざ虹彩を読み取らなくても、(カードを持っているというレベルで)個人を特定できるはずだ。そうなれば、映画に出てきたようなサービスは十分に可能だ。実際いま、多くの大企業がマーケティングツールとしての非接触ICカードの可能性に注目を始めている。
JR東日本が2001年11月に導入した「Suica(スイカ)」は、非接触ICカードを利用した電子乗車券だ。JR東日本管内の約500の駅が対応しており、東京モノレールや東京臨海高速鉄道(りんかい線)でも利用できる。現在のユーザー数はすでに500万人を突破した。同社がSuicaに期待しているのは、乗車券としての役割だけではない。買い物などの支払い機能を持たせ、駅や周辺の売店、レストランでも使えるようにする。NTTドコモとSuica機能を組み込んだ携帯電話の開発にも取り組んでいる。
JR西日本も2003年中に、非接触IC乗車券「ICOCA(イコカ)」の導入を決めている。さらに阪急や近鉄、京阪など関西圏のJR以外の鉄道・バス事業者で構成するスルッとKANSAI協議会も、共通回数券をICカード化する。スルッとKANSAIは事前にチャージ(入金)が必要なSuicaとは異なり、クレジットカードのようなポストペイ(後払い方式)を採用した。乗車券以外にも使えるようにしようとすると、プリペイドよりもポストペイの方が都合が良いからだ。しかもポイント機能も持たせる。スルッとKANSAIの導入で中心的な役割を果たしている阪急は、鉄道だけではなく傘下のデパートやホテル、映画館などでも「IC版スルッとKANSAI」に対応させる計画だ。
電子マネーにも普及の兆し
SuicaやICOCAは、ソニーが開発した「FeliCa(フェリカ)」という非接触ICカード技術をベースにしている。これはソニーグループが中心となって普及を進める電子マネーの「Edy」を格納するカードにも利用されている。Edyは加盟店であれば、リアル店舗でもオンラインショップでも利用できるのがメリットだ。
コンビニ大手のエーエム・ピーエム・ジャパンでも、全店のPOSレジをEdy対応に改造した。Edyを使って支払えば現金よりも時間がかからないというメリットもあるが、本当の狙いは正確な顧客情報の収集にある。
たいていのコンビニでは、買い物に来た客の年齢や性別などの情報を支払い時に店員がPOSレジに打ち込んでいる。これは、見た目から判断した大ざっぱな情報で、どの層の顧客がどの商品をよく購入するかといったようなセグメント・マーケティングのデータを得ようというものだ。しかし、Edyで支払ってもらえば、だれがどの店舗で買い物をしたかを個別に把握できる。エーエム・ピーエムでは、同じ店舗で同じ顧客が複数回買い物をすれば常連と見なし、例えば新製品情報を携帯電話にメールで送付したり、Webサイトで画面をパーソナライズするといったサービスを検討している。
ワン・トゥ・ワン時代の到来を前に
多くの企業が非接触ICカードに注目している最大の理由は、顧客がいつどこで何をしたかをかなり正確に把握できるからだ。クレジットカードにもこうした役割を期待できるが、日本では小額決済(マイクロペイメント)にはあまり使われないし、そもそも支払いが発生しないと役に立たない(すでに一部のクレジットカード会社は、非接触ICカードとクレジットカードが融合したタイプのカードを発行している。近い将来、このタイプが金融カードの主流になる可能性は高いだろう)。背景には、一般的に顧客の趣味、し好が細分化し、テレビや新聞、雑誌など従来のマス媒体を利用した広告手段では顧客をとらえ切れなくなっている、という事情がある。
ところで冒頭に紹介した映画のシーンはワン・トゥ・ワン・マーケティングの便利さではなく、個人のプライバシー侵害が進んだ社会を強調するものとなっている。一般的に非接触ICカードの普及に対する障壁は、ICチップや読み取り端末のコストをだれが負担するのかという問題が大きいとされている。しかし、普及が進めば進むほど、プライバシーの問題がクローズアップされてくるのは確実だ。
筆者は、企業が合法的な活動の結果得た顧客情報を存分に活用しようとするのは当然だと考えている。「引っ越した後、レンタルビデオの会員になったら、急にいろんな企業からダイレクトメールが来るようになった。情報を横流しされたようで不愉快だ」といった声をよく聞くが、現実的にはいまの日本で普通の消費者が顧客データベースから逃れて生活するのは不可能に近い。要は、消費者に嫌悪感やストレスを感じさせずにいかに消費者の行動やし好を把握するかが、肝となりそうだ。
Profile
高橋智明(たかはし ともあき)
1965年兵庫県姫路市出身。某国立大学工学部卒業後、メーカー勤務などを経て、1995年から経済誌やIT専門誌の編集部に勤務。現在は、主にインターネットビジネスを取材している。
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