2月22日、Xboxが日本で発売になった。発売前日と発売日の2日間、米国からマイクロソフトのビル・ゲイツ会長兼CSA(チーフ・ソフトウェア・アーキテクト)が来日し、プロモーション活動を行った。
今回のゲイツCSAの来日は、21日の夜の8時にやって来て、翌日の午後に日本をたつ強行軍──しかも、記者会見では新聞記者などの厳しい質問だけでなく、タレントの女の子の「ご自宅で、お子さんと一緒にゲームをすることはあるんですか?」という質問にも笑顔で答え、発売カウントダウンは元X JAPANのYOSHIKI氏と肩を並べ、一番に並んでいた客に自ら商品を手渡し、TV番組「笑っていいとも!」に出演してSMAPの草�亟剛さんとゲームをプレイするなど、従来は考えられないほどのサービスぶりだった。
ご存じのように、ビル・ゲイツCSAは日本はもちろん、米国でも簡単に取材ができないVIPである。そのVIPがXboxのために、「人寄せパンダ」に徹する姿は物珍しく、少々ショッキングですらあった。果たして、ゲイツCSAがここまでサービスした要因はどこにあるのか、勝手に推測してみたい。
要因の1つは、米国発のゲーム機として、敵地日本に乗り込んでくるに当たり、ゲイツCSA自らが斬り込み役を引き受けたということではないのだろうか。
「敵地日本」というのは少々大げさかもしれないが、パソコンの世界では米国発の製品がデファクト・スタンダードとなっているものの、ゲーム専用機は「プレイステーション」のソニー・コンピュータエンタテインメント、「ゲームキューブ」などの任天堂という具合に日本メーカーの独壇場である。米国発のゲーム機もいくつか登場したものの、日本の製品に比べると成功したとはいえない。
米国業界内ではこのことにじくじたる思いを抱いている人も少なくないようだ。Xboxが米国で先行して発売になった背景にも、「大変、申し訳ないが、米国での販売台数を確保する意味でも、日本に先に持ってくることはとてもできなかった」(マイクロソフト関係者)と米国ゲームソフト業界の熱い期待があったのだという。
特に米国のゲームソフト開発者にとっては、日本のソフトメーカーが優先される状況を屈辱的に受け取っていた人も少なくないようで、「日本製ゲーム機での開発では、日本人が書いた妙ちきりんな英語の開発マニュアルを日本ソフトメーカーの後に受け取らなければならなかったのに対し、米国発のXboxは米国人が書いた正しい英語のマニュアルを、いの一番に受け取ることができたので、米国のソフトメーカーから大歓迎を受けた」という逸話も耳にした。
つまり、Xboxは米国の威信をかけて日本のゲーム専用機に殴り込みをかける製品ということになる。そうなると日本でXboxを発売するに当たって、ゲイツCSAが自らやって来て、「笑っていいとも!」に出演までして、人寄せパンダに徹したというのは、極めて戦略的で、深慮遠謀に基づいた行動ということになる。
要因の2つ目は、日本対米国などといった国レベルの話とは関係なく、マイクロソフトがかねてから抱いている野望を達成するという悲願に、ゲイツCSAが燃えている──ということではないか。
日本法人のXbox事業責任者である大浦博久常務いわく、「Xboxはマイクロソフトが家庭のリビングに入り込むための戦略商品」なのだそうだ。「残念ながら、これまでのマイクロソフト製品でリビングに入っていくことができた製品はない」とパソコン文化の限界を指摘する。
これまでマイクロソフトは、家庭でパソコンを使うための施策を数々提唱してきたが、確かに大きな成功を収めたものはない。だが、今年1月に米・ラスベガスで開催されたCESの基調講演で、ゲイツCSAはXboxをはじめとしたマイクロソフトの家庭市場への取り組みを発表したが、複数製品を用意しているあたり、家庭内への進出に関してはわれわれが想像している以上に真摯に取り組んでいるようだ。収益的に考えると、大規模エンタープライズをはじめとした企業市場に専念すればよいのにと思うのだが、1つの取り組みに失敗するとすぐに次を用意するあたり、「執念」という言葉すら浮かんでくる。
特にスティーブ・バルマーCEOが企業向け事業の強化を進めているのに対し、ゲイツCSAは家庭市場向け戦略を発表する場に登場していることから、家庭市場に「執念」を燃やしているのはゲイツCSAなのではなかろうかという気がしてくる。それを考えると、人寄せパンダとしての役割くらい、喜んでしてくれそうである。
ビル・ゲイツという人間は、CSAという肩書どおり、新しい技術の提唱者という役割はもちろんあるが、氏のこれまでの実績を振り返ると、「新しい技術を作る」こと以上に「新しい技術を売り、市場に定着させる」能力にたけている人である。つまり、商売人として優れた感覚を持っている人なのだ。
商売という視点で考えれば、「笑っていいとも!」に出演することくらい、「お安いご用」なのかもしれない。メンツにこだわり、「とてもそんなことはできない……」なんてことを考えてしまうのは、「商売人の風上にも置けない」ことなのか。甘んじて「人寄せパンダ」に徹したビル・ゲイツという人に、ただ者ではない商売人としてのすご味を改めて感じるのである。
三浦 優子(みうら ゆうこ)
1965年、東京都下町田市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、2年間同校に勤務するなど、まったくコンピュータとは縁のない生活を送っていたが、1990年週刊のコンピュータ業界向け新聞「BUSINESSコンピュータニュース」を発行する株式会社コンピュータ・ニュース社に入社。以来、10年以上、記者としてコンピュータ業界の取材活動を続けている。
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