濃密な人間関係を前提に成立してきた営業活動を、ネットで置き換えることは可能なのか――。この命題に挑戦したネットサービスが、製薬業界で成長しつつある。業界用語でe-detailingと呼ばれるサービスだ。
医師に“濃密な”営業を行うMR
e-detailingそのものを説明する前に、まず製薬業界の営業がどのようなものであるかを説明する。大手製薬企業の場合、営業活動で最も重要なのは、医療機関への自社製品の売り込みである。一般消費者に宣伝広告することが厳しく制限されているため馴染みは薄いが、日本国内の医薬品の売り上げのうち8割以上は医療機関向けが占めているからだ。
医薬品は一般消費財などと比較して製品のライフサイクルが長く、しかもいったん採用されれば競合品への切り替えが起こりにくい。大病院であれば、1商品だけで年間、億を超える売り上げにもなる。医療機関で患者にどの医薬品を投与するかを決定する権限を持っているのは、医師である。だから、製薬企業の営業部員(Medical Representative、略してMRと呼ぶ)は、医師に対して猛烈に売り込みをかける。
自社製品の治験データや使用方法などを解説した書類を渡したり、説明したりすることは、MRの仕事のごく一部に過ぎない。自社製品に関係ないことでも、医師が研究上必要とする文献を入手したり、参加する学会の情報を集めて提供したりするのは当たり前のサービスだ。海外の学会に、旅行代理店代わりにお供することもある。仕事だけでなく、夜は宴席に、休日はゴルフに付き合う。
医薬品を処方するのは医師だが、その料金を支払うのは健康保険と患者である。自分の懐が痛むわけではないので、「値段が安いからA社の薬を使おう」などと考える医師はほとんどいない。また、売り込むのはMRでも、実際に医薬品の価格を決めて医療機関に販売するのは、卸の役割である。だから、MRと医師は、価格の話はしない。
評判はまずまずのe-detailing
結局のところ同程度の性能を持つ製品であれば、「医師と数多く接触することができ、医師に対してその製品を十分に理解させることができているかどうか」「担当MRが医師に気に入ってもらっているかどうか」といったポイントで、製品の売り上げの多寡が決まってしまうことが往々としてある。だからMRは有力な医師に面会するためなら、1日に2度、3度と病院を訪問することもある。
e-detailing(detailingとは、製品説明などMRが直接医師と会ってコミュニケーションを図ることを指す)は、こうしたリアルでの濃密な人間関係をネットで代替しようとするものだ。当然ながら、製薬企業の営業担当役員やベテランMRからは、「ネットで有効な関係を築けるのか」「医師に対して失礼ではないか」など疑問の声もある。しかしいまのところ、e-detailingの評判はまずまずといってよい状況だ。
米国では、CarenetやiPhysicianNet、MyDrugRep、Physicians Interactive、RxCentricなどがe-detailingサービスを提供している。アベンティス、ノバルティス、グラクソ・スミスクライン、ジョンソン&ジョンソン、ブリストルマイヤーズ・スクイブなどなど世界の名だたる製薬企業が、e-detailingを採用済みだ。日本でe-detailingを本格的に展開しているのは、2000年9月に「MR君」を開始した、ソニーグループのソネット・エムスリーのみ。現在、十数社の医薬関連企業が利用しているという。
e-detailingとは簡単にいうと、パソコンやPDAなどネットに接続したデジタル端末を介して、MRと医師が情報を交換したり、医師に対して文献や治験データなどの資料を提供できるサービスだ。米国での調査では、医師の約90%がe-detailingを利用できることを歓迎しているという。日本の調査でも同様に医師の9割がe-detailingを受け入れており、4分の1は将来e-detailingがMR活動の中心になるとも予想している。MR君を利用している医師のうち、83%がそのサービス内容に満足しているという調査結果もある。
オンライン・リレーションシップのモデルとなるか?
医師がe-detailingを受け入れてくれれば、製薬企業にとってのメリットは大きい。米国市場での試算では、MRが医師を1回訪問するのに必要なコストは160ドルだが、e-detailingなら90ドルで済むとの分析結果がある。別の試算ではコストは10分の1以下ともいう。
コストだけではない。e-detailingなら、医薬品の安全性情報など緊急に伝えたい情報を、より早くより広範囲に伝えられる。また、情報の内容をコントロールしやすいため、MRの能力によって伝わる情報の質に違いが起こってしまうといった危険性が低い。
いまのところe-detailingは、リアルでのサービスの補完にすぎない。それでも筆者がこのサービスの行方に注目しているのは、新しいタイプのネットビジネス普及のきっかけになるのではないかと見ているからだ。例えばこれまでのEC(電子商取引)では、「価格が安い」「店舗に出向く必要がない」「品揃えが豊富」といった点を、リアル店舗に対する競争の源泉としてきた。しかし、e-detailingはこのどれにも当てはまらない。
もしかなりの割合の医師がリアルでのMRとの接触よりもe-detailingを選択するようになったら、コミュニケーションの面でもネットの方がリアルより優位に立てると考え得る。デパートの外商のように、同じ担当者が長期に渡って顧客と関係を築きながら商売をするようなタイプのビジネスに、e-detailingを応用することは難しくないはずだ。
Profile
高橋智明(たかはし ともあき)
1965年兵庫県姫路市出身。某国立大学工学部卒業後、メーカー勤務などを経て、1995年から経済誌やIT専門誌の編集部に勤務。現在は、主にインターネットビジネスを取材している。
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