その時はひっそりと訪れた――ソフトバンク2G停波ふぉーんなハナシ

» 2010年04月08日 20時35分 公開
[大滝啓也,ITmedia]

 ソフトバンクモバイルの2G(PDC)サービスが3月31日午前2時に終了した。心なしか、ツーカー停波の時ほどの盛り上がりはなかったようにも感じられたが、当日はUstreamで切断の瞬間まで放送した人や、Twitterで2Gケータイが“圏外”になっている写真を投稿した人などが散見された。

PhotoPhoto 電波は来ているが、2時を過ぎた時点で発着信はすでにできなかった。2時前から通話していた人の中には、4時過ぎまで電波が通じていたケースもあったようだ。朝には圏外表示に切り替わっていた

 ソフトバンクモバイルの前身は、1994年4月1日にサービスインした東京デジタルホン(当時)から始まった。1997年2月のデジタルツーカー四国(当時)の開通まで、約3年をかけて全国ネットワークを整備。その後J-フォン、ボーダフォン、そして現在のソフトバンクモバイルとブランドネームを3度変え、経営母体も幾度も変更された。この携帯電話業界で“最も大きな変動”を経験したキャリアで、サービスインから変わらず提供され続けたのが、この2Gサービスだ。

 2Gサービスの下では、1997年に、携帯電話では初めてのEメール送受信サービス「スカイウォーカー」の提供を開始し、2000年には世界に先駆けてシャープ製のカメラ付きケータイ「J-SH04」を発売し、電子メールに写真を添付してやりとりする「写メール」という言葉(商標)を生むなど、“業界初”の端末・サービスを次々と展開し、携帯電話業界を牽引した。そのほかにも、位置情報を利用したプッシュ型情報配信サービス「ステーション」、初のSDカードスロット搭載端末、アナログTVチューナー搭載端末、光学ズーム付きカメラの搭載といったトピックも、J-フォン/ボーダフォンによってもたらされた。

 一方、2002年にサービスインした3Gサービスは、当初は魅力的な端末があまりなかったことで伸び悩んだものの、ソフトバンクがボーダフォンの日本法人を買収した2006年以降は、AQUOSケータイ1号機となる「905SH」などの登場を契機として2Gから3Gへの積極的な移行を推進し、一気に3Gへとシフトしていった。

 ソフトバンクモバイルは2008年3月に2Gの新規契約受け付けを終了しており、2010年2月末時点でのソフトバンク2Gサービスの契約者数は54万3700件。同じ2月末時点で2199万8000件あったソフトバンクモバイルの契約数全体から見ると、約2.5%にまで減っていた。

 3月31日中に契約変更を行わなかった回線は自動的に契約解除となったが、9月30日までは、2Gで使ってきた同じ番号での新規契約を受け付けている。契約後にユーザー自身が設定することで、それまで使ってきたメールアドレスを継続して使うことができる。

Photo SoftBank 2G契約者向けに郵送された2Gの停波と3Gへの移行を案内するダイレクトメール。一部機種には端末代無料で移行ができた
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