動乱で揺れるチベット自治区は長らく外国人の立ち入りと移動が制限されていた。最近になって入域許可書が順調に発行されるなど、不安定であるものの観光は自由にできるようになったが、それでも外国人が中国チベット自治区を旅行するにはガイドを同伴しなければならない。3日間滞在するなら3日分払わなければならない。20人の団体で行けば、1人が負担するガイド代は20分の1になるが、1人で行くなら自分ですべて払うことになる。「中国、ベトナム、モンゴル、キルギス、ウズベキスタンと来れば、次はチベットでしょう」と遠い日本の編集部から気軽に要請されても、費用的になかなか難しいものがある。
こんな、「行きたいけれど行けない」状況が続いていたところ、先日、「痛いThinkPad」をこしらえてしまった中国人の知り合いがチベットを旅行するというので、「よおおぉぉぉし!がっつり調べてきてくれ!」と送り出した。そういうわけで、今回は“アジアン・アイティー”の特別編として、チベットの状況を、日本でも紹介されることが多い“政治的視点”でなく日本では知ることができない“生活者の視点”で報告してもらった。
筆者もチベットを訪れたことがある。が、それは10年前の話だ。標高3650メートルの(自治)区都「ラサ」、第2の町「シガツェ」、第3の町「ギャンツェ」をはじめとしたチベットの町を知人の撮影した画像で10年ぶりに見たわけだが、古くからの雰囲気が残る旧市街はそのままながら、その旧市街を取り囲むように新市街が設けられ、中国の地方都市のような町並みに“発達”していた。
新市街の大通りには中国の都市で見かける中国資本アパレルブランドの店々とともに、コンビニエンスストアや携帯電話ショップ、インターネットカフェ、そして大きなショッピングセンターとデパートが並んでいる。そして、町の中心部から離れると新築の低層集合住宅が多くなる。にぎやかな中心部にしろ住宅街にしろ、看板のチベット文字やチベット族がまとう独特の衣装が目に入らなければ、新市街の景観は中国の都市によく似ている。また、町と町の移動中に車窓から見える田園風景も、10年前は人の手で収穫が行われていたのに、今は農機が目立つようになった。
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