山田 (AIの遺電子で描いているのは)ぶっちゃけ、シンギュラリティが起きちゃったあとの世界なんですけど、そのすごい高度なマシンたちは非常にフレンドリーで、人類のために力をセーブしているというか、そういう中で旧時代的な価値観はもろもろ残っていて、仕事をしている人もいるし、人間は人間らしい暮らしを比較的維持できています。そこにはいろんな機械がいて、人間を完全にトレースしたようなヒューマノイドから、産業用AI……
吉浦 スーパートイ的なものもいますね。
山田 そうですね。AIBOがちょっと進化したみたいなのとか。そういうグラデーションを描いています。
吉浦 いいなあ、と思ったのが最先端のヒューマノイドを描くことで、その下位互換の存在のエピソードも描けるということ。つまり、人間に限りなく近いヒューマノイドを描く一方で、その下の産業AIロボットの話も描ける、さらにスーパートイの話も。それが企画の枠組みとしていいなあ、と。ヒューマノイドを仮に第3世代とするならば、第1世代、第2世代までも話にまきこんでいるところってずるいなあ、というか(笑)。
一同 (笑)
山田 第3世代だけだと人間でいいと言われるんですよね。僕はそうは思わないんですが、やっぱりこれじゃ人間といっしょだよね、という不満が割と多くて。
吉浦 思い出した。「イヴの時間」も最初のころ、「人間じゃん、これ」って言われたよね。
水市 (笑)
山田 「AIの遺電子」の場合、結果的にああなったんですけどね(笑)。最初は読み切りで描いたんですが、もっと読んでみたい、と言われまして、継ぎ足し継ぎ足しで。
吉浦 描いているうちに世界観が広がっていった、という感じですか。
山田 考えてはいたんですが、最初のイメージとしてはヒューマノイドは今ほど人間人間していなくて。第1話(「バックアップ」)だと中身、メカじゃないですか。
吉浦 ああ、そうですね。
山田 中身はメカなんだけど、頭の中は人間をほぼトレースしているというイメージです。でも描いているうちに、人間らしさを同等に感じられるものを想像していくと、体もある程度「肉」でないと、という感じになってきちゃって。昔はマシン系のボディだったけど、今はもうバイオ系だよね、というような。
吉浦 ロボットが労働力として世の中の隅々まで普及した、という設定は古典SFでもありますよね。そこで描かれるのは社会的な労働問題だったりするわけですが、「AIの遺電子」はそれすらも飛び越したところに話がいっていて。ヒューマノイド差別主義者というような単語は出てくるんだけれども、本質はそこじゃない。
山田 そうですね。
吉浦 それを見たときに「ああ、こういう描き方があるんだ」と思ったんです。例えば、仮にロボットの設定をなくして人間だけで第一話のプロットを作ろうとした場合、脳の機能だとか記憶障害だとか、何とか形には出来るかもしれないけれどもややこしい話になってしまう。それが「ヒューマノイドのバックアップ」の話だとすんなり受け入れられて、かつよりダイレクトに胸を打つ。以前の自分と今の自分は果たして同じなんだろうか、とか、そういう問題意識がずばっと刺さるし、人間の形をしているから感情移入できる。すごいところを突いている物語だな、というのが最初の印象です。だから、僕は第1話を読んだ瞬間に今回の対談を是非に!とお受けしたんです(笑)。
吉浦 タイトルは「遺伝子」ではなくて「遺電子」なんですね。
山田 ちょっとひねろうかと。最初の読み切りでは全然違うタイトルだったんですが、連載作品になってからはこのタイトルですね。
吉浦 僕、ここのシーン(「AIの遺電子」第1巻 p.36)がすごく胸をえぐりました。人間なら誰しも考える恐怖心が、この設定だからできる描写で描かれている。「怖いよね、そうだよね」と。設定が人間だと逆にここまで感情移入できないんじゃないかな? と思ったくらいです。なので正直「ああ、こういうのやりたかったなあ」と嫉妬心が(笑)。週刊連載でよくこんなに思いつきますよね。
山田 一週間が早くて……やばいですね(笑)
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