吉浦 「イヴの時間」では言い訳のように第1話第1カットでアンドロイドの内部を出しているんですが、それ以降は人間とアンドロイドを区別していないんですよ、描写的にも。結局、人間同士の話を描いているんですよね。言ってしまえばSFってそんなものだと思うんですけど(笑)
瓜生 水市先生の小説版でも描かれてましたが、アンドロイドは一列で歩いているんですよね。それに対して人間はわりとばらけて、定まらない視点で歩いていたり。
吉浦 人間の姿に似ている以上、人間のライフサイクルとかに当てはめたがる、というところがすごくありまして、それですね。「AIの遺電子」でもありましたけど。
山田 そういう「絵的な分かりやすさ」というのはすごく強いです。我々は未来を予測するのが仕事ではなくて、面白い作品を作るのが仕事なので(笑)、そういうものをどんどん発明して入れていったほうが面白いだろうなと思ってやってるんですけど。ただ、こうしたら絵的に分かりやすいけど、実際こうなるかな? というような葛藤はないですか?
吉浦 そこはアニメと漫画の違いかも。たぶん、漫画のほうがより繊細な表現だと思うんですよ。アニメはやりたいことをずばっとやっても許されちゃう。頭にリング乗せたり、比較的ステレオタイプなアンドロイドを出してもOKなんです。漫画はその点、実写に近いな、と思っていて、あんまり分かりやすいことをやり過ぎちゃうと読者に引かれてしまう。
吉浦 「AIの遺電子」で定期的に出てくるヒューマノイドならではの描写、あれいいじゃないですか。例えば、事故って破損しているんだけれど、それをコマの外で語らせるとか。あれ大好きなんですよ。
山田 画力がなくて描けないんです(笑)
吉浦 「イヴの時間」はどちらかというと面白いケレン味とかにある程度時間をとっていて。短編アニメなので、どうしても話がシンプルにならざるを得ないんですよね。そういう意味だと漫画の方がよりエッジなところに踏み込めるのかな、と。
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