今までのAI(人工知能)はいわゆる「弱いAI」――特定問題の解決を行うためのものを指すことが多かった。しかし、Google DeepMindが開発したAlpha Goが世界最強の囲碁棋士の一人であるイ・セドルに勝利したことから、汎用AIとなる「強いAI」実現への期待が高まり、今やAIブームといってもいい状況になっている。
これまでSFにしか存在しなかった、人間と見分けのつかない知性を備えたAIが近い将来、本当に実現するのかもしれない。そんなAIが実用化された社会はどんなものになるのだろうか。
AIが実用化された社会の日常を描いた作品として、思いつくものが二つある。
一つは「AIの遺電子」(アイのいでんし)だ。
「AIの遺電子」は2015年11月から週刊少年チャンピオンで連載中の漫画作品で、4月8日には待望の単行本第1巻が発売された。作者はPC USERでも連載している「バイナリ畑でつかまえて」の山田胡瓜先生。「AIの遺電子」の舞台は国民の1割がヒューマノイドという近未来で、AIを搭載したヒューマノイドが人間と同じように思考し、生活している世界を描いている。
そしてもう一つが「イヴの時間」。
「イヴの時間」は吉浦康裕監督によるアニメ作品。2008年8月からインターネットでファーストシーズン全6話が順次配信され、2010年3月に完全版として「イヴの時間 劇場版」が公開された。「未来、たぶん日本。”ロボット”が実用化されて久しく、”人間型ロボット(アンドロイド)”が実用化されて間もない時代」を描いている。劇場版公開に合わせて水市恵先生による小説版「イヴの時間 another act」が発売された。
今回、幸運にも「AIの遺電子」の作者である山田胡瓜先生、「イヴの時間」の原作・脚本・監督である吉浦康裕監督、そしてノベライズの著者、水市恵先生による座談会という機会を得た。はたしてAIが実用化された世界を描いた3人のクリエイターたちは現在を、そして未来をどう見ているのだろうか(聞き手:瓜生聖、PC USER担当編集長:編集G)。
水市恵 「イヴの時間」では、アンドロイドは本当は人格・自我があるけれども、表向きはあくまでも家電、という扱いです。「AIの遺電子」のヒューマノイドは本当に人間と対等で、職業を持っていたりもする、というのに驚きました。
瓜生 “倫理委員会”が放っておかない世界ですね。
水市 (笑)。倫理委員会が崩壊した後の世界ですよね。
吉浦康裕 山田先生も意識されていると思いますが、SFって結局のところはその世界を通して人間をどう描くか、ということなんですよね。
山田胡瓜 そうですね。
吉浦 そこでひねりを加えて、「イヴの時間」では黎明(れいめい)期を描いたんです。一応、アンドロイドの存在は市民権を得てはいるけれど、それを所持していること自体がちょっと後ろめたい、恥ずかしいという、人間のほうがあたふたしている時代なんですね。ガイドラインも定まっていないし、法整備もできていない。だから、どう付き合っていくのか、そのことをどこまで友だちに開示すればいいのか分からない。そういう、まだ成熟していない時代・世界を狭く描いたんです。
瓜生 いろんな人が出てきますね。アンドロイドを人間視する人を“ドリ系”と呼んで揶揄(やゆ)する人もいれば、そう指摘されてむきになって反発する人、逆にアンドロイドを人間視してどっぷり依存している人だとか。ドリ系という言い方、言われたときの反応は今の「オタク」に対する反応に近いものを感じます。一方、「AIの遺電子」ではもう少しマイルドで、人間とヒューマノイドは人種の違いくらい、といった感じでしょうか。
山田 そうですね。あんまり自分で言い過ぎるとよくないんですが、「AIの遺電子」はちょっと性善説がすぎるかもしれないです。
一同 (笑)
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