インタビュー
» 2016年04月14日 10時30分 公開

これからの人類はAIとどう向き合っていくべきか――「AIの遺電子」山田胡瓜と「イヴの時間」吉浦康裕、水市恵が語る現在と未来アニメ監督×漫画家×小説家(7/10 ページ)

[瓜生聖,ITmedia]

人を感動させる機械は

吉浦 しかし、感動を生み出す作品を機械が作りはじめたら怖いですね(笑)。プロットとかを自動生成したり。しかも膨大なデータをつっこんで最大公約数的に観客を感動させることができれば……。

編集G 大多数の人間が見て感動してしまう作品を作り出せますね。

吉浦 ハリウッドもちょっとやってるっぽいんですよね。これが自動化されたら……(笑)。

瓜生 「AIの遺電子」でもAIが作った小説を集めて、最後に整形をする職業のヒューマノイドが出てきますね(第19話「エモーショナルマシン」週刊少年チャンピオン2016年17号掲載・単行本未収録)。

山田 「AIの遺電子」の世界だと産業AIは本来持つポテンシャルからだいぶ削がれているという設定があるんです。人間もそこそこ働きたいだろうから、人間が活躍する余地を残しておくべきだ、と一番偉いAIが判断してそう社会を形作っているんです。

編集G 例えば、ITmediaのようなメディアに記事を書くAIはすぐにできるかもしれません。ただ、他人の感情に訴えかけるものを作るには条件がいくつかあるんじゃないかとも思っています。「AIの遺電子」でもヒューマノイドは人間にすごく似ていますよね。そうでないと人間の感じ方を得ることができない。そこには情動の元になっている動物としての本能、暗闇が怖いとか死に対する恐怖とか、そういった身体感覚が必要になってきませんか?

吉浦 でも、要はどれだけ膨大なデータを素早く扱えるか、ということですから、痛み感覚、恐怖感覚を擬似的に再現しさえすれば結局それも再現できる、ということになるんじゃないかな。

編集G つまり、センサー部分は必要ない?

吉浦 劇中にもありますけど、たとえセンサーがあっても、じゃあそもそも“痛み”って本当にあるの、という話になっちゃいますから。

水市 「AIの遺電子」第2話(「かけそば」)で落語の話があったじゃないですか。食べる感覚はないけど、まねすればいいんだよ、といわれてなるほど、と腑に落ちたんです。そうか、まねさえできればいろんなものが作れちゃうんだよな、まねできるかどうかの問題になるんだろうなこれは、と。

「AIの遺伝子」第2話「かけそば」より。人間の感覚がわからないから芸が上達しない、と悩む落語家志望のヒューマノイド

吉浦 哲学的ゾンビじゃないですが、ヒューマノイドが目の前で泣き叫んでいても、その中身は何考えているか分からないとか。

※哲学的ゾンビ:外面的には普通の人間のように振る舞うが、内面的な経験・意識をまったく持っていない人間のこと。

「AIの遺電子」第3話「ポッポ」より。「そもそも心なんて誰にもないかもしれんぜ」と言う須堂

編集G いくら感動する映画でも、役者は演技をしているだけ。実際は技法の問題で、それを本当に感じている必要はない、ということですね。

吉浦 例えば、最近のデジタルツールを駆使してイラストなどを描かれている方の描き方は、まさにちょっとAIに置き換わっているようなものという気がします。塗りもエフェクトも根底の部分で自動化されて。絵を描く、というより作る、という作業に近づいているなと思います。

編集G それを人工知能がやっても同じことになる、と。

吉浦 やっぱり、感動するポイントってみんな近いですから。

山田 ある人とまったく同じもの作ることができる人って、いませんよね。僕には僕にしか作れないものがあって、他の人には僕が作れないものが作れる。だから、AIにもAIで作れる、作れないはあるんじゃないでしょうか。ただ、将来AIが作ったものは作品として面白いものになるんだろう、ということだけは言えるんじゃないかなと。

吉浦 人もAIも含めてジャンル分け、棲み分けされるんだけれども、共存する、ということですね。得意・不得意という点だと、「AIの遺電子」でもありましたね。

「AIの遺電子」第6話「ベスト」。記録が伸び悩むヒューマノイドに、須堂はヒューマノイドが得意な種目への変更を勧めるが……

山田 逆に言うと今まで人間が見たことがないような快感原則に則った作品が出てきて、人間が「なんでこれが楽しいんだ!?」とびっくりすることもあるかもしれないですね。

吉浦 それはありそうです。三幕構成でなくていいじゃない、と、新しい構成か出てくるかもしれない。

※三幕構成:設定・対立・解決の3パートで作られる脚本の構成。映画だけでなく、小説、漫画、テレビドラマなど広く応用されている。

編集G 今回のAlpha Goの対局では、人間の感覚ではすぐには理解できない手がいくつかあったようです。数十手進んでから、なるほど、というような。芸術的な作品でもそうで、普通は作品を見たとき頭で理解するために、自分の中に物事を落とし込んで組み立てますが、AIが作った映画を観たときにはそういうプロセスを経ないかもしれません。だから見てもよく分からない、理解できない、けれど目が離せない、といったような。

吉浦 娯楽は見る側も最適化される側面はあると思います。例えば、名作と言われるディズニーの白雪姫、実はあれ、今観るとかなり構成がスローなんですよね(笑)。今の理屈で言う娯楽映画のセオリーには沿ってない部分が大きいんです。でも、当時は絵が動くだけで感動モノだから、掃除や料理のシーンが10分以上延々と続いても楽しめた。AIが作るものも、最初は理解不能かもしれないけれど、ある人が「これは素晴らしいんだよ」と言いだしてみんな見始めると「これはありだね」ってなっていくかもしれない。人間のほうもそれに対して抵抗なく「これはこれでいいじゃない」とすっと受け入れていくのかもしれません。

編集G 囲碁や将棋でAIと対局することで、人間対人間しかなかったころより、人間側も強くなるように、逆にAIの作品によって人間が訓練される、AIが作った芸術作品を見ることで人間のセンスが引き上げられる、みたいな。

瓜生 AIの見つけた手が定石として取り込まれる、ということはありえるわけですよね。同じように芸術の面でもAIが作った構成、仕掛けを人間の創作活動に取り込む、ということはありそうです。

吉浦 競作してもいいですし、ある程度のところまでがっとAIに作ってもらって、そこから先を人間が作って手数を減らす、というのも有用かもしれない。例えば「○○○さん」って、映像はバンクだけで作れそうだし、可能性ありそう。

一同 (笑)

※○○○さん:1969年から放送されている国民的アニメ。
※バンク:特定シーンや背景を流用すること。代表的な例に変身ヒーローなどの変身シーンや決めポーズなどがある。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

この記事が気に入ったら
ITmedia PC USER に「いいね!」しよう