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» 2012年11月20日 15時00分 UPDATE

矢野渉の「金属魂」Vol.27:僕がマルチツールを持ち歩く理由――「GERBER Multi-Plier 600 Needlenose」

PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。今回はプライヤー型マルチツールの深遠なる世界へ。

[矢野渉(文と撮影),ITmedia]

S氏のウエストポーチ、あるいは四次元ポケット

 いつもウエストポーチを腰に巻いていて、ドラえもんのように色んな物を持っている。これは持っていないだろうと思っても、ニコニコしながら僕の欲しいものを差し出してくれる。「おせっかい」ではなく、自然体で他人の世話を焼ける人。

 東に携帯の電池が切れた人がいれば行って汎用充電器を差し出し、西に指を怪我した人がいれば行ってバンドエイド(しかも指先用)を巻いてあげる。北にPCの電源が入らないと泣く人がいれば行って分解して断線を半田付けしてあげる。ボランティアとは違う、日常の小さな尊敬を集めたいがために準備を怠らない人だ。S氏はそんな人だった。

 S氏は、PC雑誌でデジカメ関連のものを得意とするライターだった。僕も何度か仕事をご一緒させてもらったことがある。デジカメの黎明(れいめい)期では、デジカメの画質とフィルムカメラの画質を並べて比較するのが普通で、S氏がデジカメでモデルを撮影すると、今度は僕が同じライティング、同じ画角でポジフィルムでの撮影をするのだ。

 休憩に入ると、S氏は実にさまざまな話題で場を和ませてくれた。おへそのあたりに大きめのウエストポーチが揺れていて、色々なものが飛び出してくる。新しい規格のケーブルや、バッテリー、小さな工具……。

 しかしそれから間もなく、S氏は亡くなってしまった。新製品のデジカメの作例写真を撮影することに熱中するあまり、崖から海に落ちたのだ。もうあの笑顔は見られない。

 僕はS氏の振る舞いに憧れを感じ、あのようになりたいものだと思っていた。しかし、そのために腰にいくつもポ−チをつけて歩くのは嫌だし、半田ごてを使ってまで他人に奉仕しようとは思わない。小さな裁縫セットをいつも持っていて、ボタンが取れたときにその場で付けてくれる女子、ぐらいのレベルで十分なのである。

 というわけで、僕がいつも持ち歩くものはマルチツールということになる。この1つの工具の中にプライヤー、はさみ、ナイフ、ヤスリ、ドライバー、缶きり、栓抜きなどの機能が凝縮しているわけだから、他人から感謝される確率がそのぶん高くなる。これだけの種類をそれぞれ単体でベルトにぶら下げていたら、たぶんまわりからは変態扱いを受けるだろう。

 1つの筐体の中に多くの工具やナイフを収納するのがマルチツールの原点ではあるが、あまりに小さなものも考えものだ。特にプライヤーがメインのものは、僕は「フルサイズ」にこだわりたい、と思っている。「フルサイズ」とは僕が考えた基準だ。プライヤーの柄の長さが、手のひらの幅より大きいものをそのように呼んでいる。これより柄が短いものは手の握力が100%プライヤーに伝わらないから、工具としての存在感が弱い。

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ワンハンドオープンのギミックにほれた

 その中で僕が常用しているのがGERBER(ガーバー)の「600」というシリーズだ。柄の長さは11センチ。堂々のフルボディだ。重量は220グラム。ステンレスの鋼板を加工して作ってあるので、見た目ほどは重くない。が、金属としてめでるには圧倒的に質感が足りない。実用品なのである。

 それでもこの600を常用しているのには理由がある。

 プライヤータイプのマルチツールにおける設計の基本は、先端部分の収納方法だ。これがよくないとコンパクトな工具にならない。多くのものは、柄の部分を外側に折っていって、先端を柄で両側から包み込むタイプだ(バタフライナイフを大きくして、ナイフの代わりにプライヤーを付けたような格好)。したがって使用時には両手で両方の柄を開かなければならない構造になっている。

 これに対してガーバーは先端部(ノーズ)がスライドして直接飛び出してくる。まるで飛び出しナイフのようだ。ワンハンドオープン。作業中は非常に有効な要素である。片手で素材を押さえた状態で、腰から工具をパチンと取り出せるからだ。

 さらにこの構造だと、柄とノーズが別体になっているため、ノーズの交換がきく。写真のものは一般的なニードル(とんがり)ノーズだが、ほかにバス釣り用のさらに細いノーズ、ブラント(ずんぐり)ノーズ、ワイヤーカッターなど、用途に応じて取り替えることができるのだ。

 しかしまあ、この製品の魅力のほとんどは、ワンハンドオープンのアクションにあるといってよい。

 普通に手で握って振ると、必ず途中で引っかかる。コツがいるところがマニアをひきつけるのだ。マニュアルでは、柄の片側だけを握って真っ直ぐ前に振り下ろす、ということになっている。しかしこれではノーズが飛び出た後に持ち替えが必要になるので、本当の意味でのワンハンドオープンとはいえないし、なにより格好が悪いのだ。

 僕は600を買った日の晩、試行錯誤を繰り返した。そして明け方に画期的な方法を開発した。柄の端を親指と人差し指の付け根で軽く挟み、スナップを効かせて横にクイッと振る。すると、本当にナイフのようにパチンとノーズが飛び出てくる。100%失敗はない。僕とGERBER 600が理解しあえた瞬間だった。


 想像してみてくれ。

 みんながマルチツールを持っていたら、きっと争いなどなくなるのではないかと。

 玩具が壊れて泣いている子供のまわりで、パチンというGERBERを開く音がしたら、それは素敵なことではないかと思う。

 困っている人を見たらマルチツールを取り出すんだ。隣人への愛にあふれていた、あのS氏のように。

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