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桐谷健太さん主演「ミラクルシティコザ」制作の舞台裏 プロデューサーが見いだした「地方に眠る商機」とは?沖縄を舞台に70年代と現代が交錯(3/4 ページ)

» 2022年01月29日 05時00分 公開
[伏見学ITmedia]

度重なるリスケも一致団結で乗り越えた

 そうした苦しい中であっても、ミラクルシティコザには可能性があると、神氏は意気込む。応募が来た時点で、完璧な地域密着型の映画がこの作品ならできるのではないかという確信があった。何よりもコンテストの審査員でもある堤幸彦監督が大絶賛したという。

 「堤幸彦監督が最高傑作だとベタ褒めでした。『本来ならば俺がやらないといけないテーマだ。これは絶対やるべきだよ』と言っていました。ロック少年だった堤幸彦監督は当時のコザの盛り上がりを知っていました。一ファンとしてぜひ見てみたいと」

 ただし、撮影はコロナ禍で何度も延期に。本来であれば20年3月にクランクインする計画だったが、沖縄が県外からの往来自粛要請を出した。その後も緊急事態宣言が発出されるなど、何度もスケジュールを変更した結果、21年3月にようやく最初の撮影にこぎつけた。

 度重なるリスケで費用もかさんでいったが、平監督をはじめとする沖縄のスタッフとキャストが一致団結して、何が何でもやってやるという気持ちがあったことが有難かったと神氏は振り返る。

 一方で、悩みの種だったのが、主演である桐谷さんの調整だ。売れっ子俳優であれば、当然ほかの作品への出演スケジュールは決まっている。加えて、何度もリスケをお願いすると、本人の気持ちも萎(な)えてしまうだろう。しかし、違った。

 「普通、これだけリスケしているといろいろな条件が合わなくなって、主演や役者が変わることはよくあります。それでも、桐谷さんはやりたいと思ってくれた。こんなことは異例で、僕も初めての経験です。これに救われましたね」

 いざ撮影現場に入ると、桐谷さんは出演者やスタッフをぐいぐいと引っ張っていった。頼もしい存在で、クランクアップの時は全員が号泣していたという。

 この作品に関しては、桐谷さんも強い思いがあった。

 「一度、やりましょうと返事をした作品なので、スケジュールが変わろうが、やるべきだと考えました。それに最初にオファーを受けたとき、自分の中でピンと来たのです。だから、理屈じゃなかった。こういう役を表現したいからやりたいんだ、ではなく」

 また、実際に引き受けたことによって、自分自身にとっても好影響を与えてくれた作品だったと打ち明ける。

 「どんな作品でも、やっぱり楽しくやるものだなと思いました。もちろん役を演じているときは、辛(つら)い気持ちや悲しい気持ちを表現するわけですが、やっている俺自身は楽しまないといけないなと、あらためて感じさせてくれました。そして、現場の皆で作品づくりを楽しむことが大事なんだと」

映画「ミラクルシティコザ」の一コマ(©2021オフィスクレッシェンド)

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