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» 2009年04月21日 08時30分 公開

麻倉怜士のデジタル閻魔帳:ソニーはきらめきを失ったか (2/4)

[渡邊宏,ITmedia]

麻倉氏: 2000年度に同社が掲げた経営方針には、「グループ全社を統括するeHQを定義して、ネットワーク時代のビジネスをまとめる。eHQの執行機関としてeMC(E-Management Committee)を作り、ネット事業の中核となるeソニー推進本部を設置する」という文字が躍っています。まるで「e電」みたいですね。

 これは本社をeHQ、そのなかの執行機関をeMC、案を具体化するための部をeソニーとしたもので、既存組織の名前を変えただけでした。全社でネットワークとの親和性を掲げたものの、「HDD搭載ステレオを作ったけれど録音ソフトは別売で、ネットワークで買う」などといった、無理矢理なネットワークビジネスや製品展開が行われていました。このアイデアにはたまげた記憶があります。

 CS放送から音楽をMDにダウンロードするというビジネスもありました。私は詳細に取材し、当時、執筆していた「ソニーの野望」(IDGジャパン)という本の原稿に書いたのですが、ところが、途中で撤退し、あわてて、ゲラからその部分を削除した苦い思い出もあります。そうこうしているうちにネットバブルがはじけ、もの作りへの回帰に走るわけです。

 製品面から振り返ると、1990年代のソニーはCDとDVDを中心とした製品作りが大きく花開き、テレビにしてもフラットテレビをブラウン管で実現するなど、高い技術力と収益力を誇っていました。そして次のメインステージとして選んだのが有機ELとFEDでした。これらへ持てる技術を投入し、垂直統合の製品作りを進めたいというのが出井氏の考えでした。

 ですが、2001年ごろから液晶とプラズマが非常に進歩し、ブラウン管の後は有機ELもしくはFEDという方向性が裏目に出ます。慌てて他社からパネル供給を受けてのフラットテレビ製造を開始しますが、ブラウン管時代の画質には到達できませんでした。間違ったネットワークへの注力もあり、もの作りの基礎体力が低下していたのですね。

 ここでライバルたるパナソニックと比較してみましょう。業績面で言えばパナソニックは2000年ごろが最悪でしたが、リストラと資源集中を同時に行う、いわゆる中村改革を行うことで、05年ごろには薄型テレビ「ビエラ」やレコーダー「ディーガ」、デジタルカメラ「ルミックス」などがヒットし、改革が実を結びます。

 ネットワークの重要性は両社ともに認識していましたが、パナソニックが選択したのは、まずはもの作りに注力し、その後にネットワークサービスを重ねていくという方法です。ソニーはネットワークありきで考え始め、行き詰まってからもの作りに回帰したために、方向性にブレが生じてしまったのですね。

 ソニーは2000年ごろ、90年代の成功(特にプレイステーション)から潤沢な資金があったので、ネットワークに資金を投入できたのですが、当時のパナソニックにはネットワークという先進的な要素へ資金を投入することはできず、足場を固めるしかなかったのですが、結果的にそれが明暗を分けてしまいました。

 経営方針も、結果としてマイナスの影響を及ぼしました。そのころからソニーは社外取締役、指名委員会を重視し、社員は執行役員として業務に携わる経営スタイルを導入していました。このスタイル自体はともかく、アメリカ的経営のひとつとして、株主への配当を重視する考え方となったため、長期的な戦略ではなく、短期間での成果(利益)を重視する会社になってしまいました。業績評価基準として、アメリカ流の経営評価指数、EVAを採り入れたことも、短期志向を助長しました。

失われなかったもの作りへの意欲

麻倉氏: ですが、出井氏の素晴らしいところは、もの作りへの意欲を失わなかったことです。2003年6月に発足した、「クオリア」シリーズがよい例でしょう。クリエーションボックス「QUALIA001」や、SXRDを使ったプロジェクター「QUALIA004」など、映像分野において大きな成果を挙げ、その技術は現在の製品にも息づいています。

photo 「QUALIA004」

 出井氏にクオリアを作ろうとした理由を尋ねたことがあります。“IT”を推進しすぎて、それまでに蓄積された技術やノウハウが霧散してしまうことを恐れたからだそうです。決して、ネット万能という訳ではなく、有機ELやFEDも推進するなど、出井氏はネットともの作りのバランスを取ろうとしていたのです。最終的にそのバランスを保つことはできなかったのですが、“ソニーの遺伝子”は失われていなかったのです。

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