この交通システムとインバウンド対応で切っても切れない話題として上ってくるのが「オープンループ」だ。Suicaなど特定の交通系ICカードを利用した料金徴収システムが「クローズドループ(Closed Loop)」と呼ばれるのに対し、オープンループ(Open Loop)ではそれ以外の決済手段、例えばクレジットカードなどの非接触決済サービス(EMV Contactless)を受け入れる。
交通系におけるオープンループの代表的なものがロンドン交通局(Transport for London:TfL)のシステムで、クローズドループの「Oyster」カード以外にもMastercardやVisaといった国際カードブランドの非接触決済に対応したICカードで地下鉄やバスの乗降が可能になっている。Apple PayやGoogle PayといったモバイルNFCサービスも利用でき、普段買い物に利用しているカードをそのまま公共交通に利用できる。
相互乗り入れを実現しているSuicaなどの“10カード”もある意味でオープンループなのかもしれないが、Suicaの仕組みに準拠していないカード(例えば北海道の「Sapica」や沖縄の「OKICA」など)はSuicaエリアである関東圏では利用できず、基本的にクローズドループで運用されている。
Appleが2019年3月25日(米国時間)に米カリフォルニア州クパチーノの同本社で開催したスペシャルイベントにおいて、Apple Payで「ポートランド」「シカゴ」「ニューヨーク」の公共交通システムのICカード乗車券システムに対応することが発表された。
海外では都市ごとに異なる交通システムを運用していることが一般的で、(都市国家を除く)国単位で広域にわたって1つの交通系ICカードを使い回せるのは日本を除けば韓国や台湾など、ごく限られた地域にとどまっている。ゆえに在住者は月額パスなどを購入する一方で、旅行者は都度紙のチケットを購入するか、次回以降の訪問を考慮しつつ現地の交通系ICカードを窓口に並んで購入するわけだ。
現在、シカゴでは「Ventura」、ポートランドでは「TriMet/Hop Fastpass」という交通系ICなどを組み合わせた料金徴収システムが提供されているが、iPhoneさえあればWalletアプリを通じて好きなタイミングでカード追加やチャージを行える。とはいえ、モバイル向けの交通系ICカードは世界でもあまり普及しておらず、多くは物理的なプラスチックカードを活用している。
最近、中国ではHuaweiやXiaomiが同国内各都市の交通系ICカードをモバイル端末内で利用できるサービスを提供したり、前述のApple PayやSamsung Payで一部地域での交通系ICカードの登録サービスを用意したりしているが、日本でのモバイルSuicaの方が普及率が断然高いという状況だ。
こうした中で広がりつつあるのがオープンループの仕組みだ。下表はそのごく一部だが、ロンドンのTfLが導入したのを皮切りに、世界中の都市で導入または検討が始まっている。
世界の都市交通での料金システムはさまざまあるが、ロンドンのように「ゾーン制」を採用して移動ゾーンに応じた料金を徴収するだけでなく、「オンピーク/オフピーク」の区分けがある仕組み、さらには「料金キャップ」が設定されていて1日の利用が一定金額を超えると以後の徴収がなくなるという、いわゆる「1日乗車券」のような役割を果たす仕組みも存在する。日本のようにゾーン制ではなく「距離間運賃」を採用するケースもあり、これに「オンピーク/オフピーク」の仕組みが加わったのがシンガポールだ。
都市名 | 事業者/サービス名 | 備考 |
---|---|---|
英国 - ロンドン | Transport for London(TfL) | 2012年にバスで先行スタート |
シンガポール | LTA SimplyGo | Mastercardのみ対応、Visaは2019年内 |
イタリア - ミラノ | Azienda Trasporti Milanesi(ATM) | 2018年7月開始 |
ロシア - モスクワ | Moscow Metro | サンクトペテルブルグ、ノボシビルスクなどでも利用可能 |
カナダ - バンクーバー | TransLink | 2018年5月開始 |
オーストラリア - シドニー | Metro Transport Sydney(MTS) | 2018年11月 |
台湾 - 高雄 | Kaohsiung Rapid Transit Corporation(KRTC) | 2019年1月開始、Mastercardのみ |
米国 - ニューヨーク | MTA | 2019年5月開始予定 |
オープンループの難しさは「入りと出の両方のタッチを認識し、差分をカード請求する」という仕組みにある。これを運営各社の料金ルールに照らし合わせて改札を高速処理する点も特徴だ。技術的には、入場時点ではカード番号だけをチェックしてすぐに通過させてしまい、移動中に処理を行うことでカード処理にかかる時間を低減し、例えばTfLでは500ミリ秒以内で処理を完了させている。
銀聯カード(China UnionPay:CUP)を使ったオープンループ改札の仕組みは中国内の多くの都市で導入されており、QuickPassに対応した物理カードまたはCUPを登録したスマートフォンを使って出入場が可能だ。また非接触決済ではないが、ノルウェーのオスロでは空港から各都市へ移動する高速鉄道「Flytoget(フリートーゲ)」の乗車にクレジットカードが利用できる。ホーム上にカード読み取り機があり、入場時と出場時にそれぞれカードを通すことで差分が引き落とされる。
一方、一律料金を採用するケースでは非常にシンプルで、タッチした瞬間に単一区間運賃をカードから差し引くだけでいい。ラッシュ時の処理についてはケースバイケースだが、このあたりは今後各都市のシステムを改めて検証していきたいと思う。
この単一区間運賃を採用する代表的なものがニューヨークのMTAだ。MTAでは従来まで利用していた磁気カードのMetroCardに代わり、2019年以降に他都市と同様に非接触式の交通系ICカード「OMNY(One Metro New York)」の他、オープンループ方式の料金徴収システムを導入することを表明している。5月末にもマンハッタンのレキシントン通り(Lexington Ave)を通る路線(4・5・6)の一部区間で試験運用を開始し、順次対応エリアを拡大していく。開発を行っているのはTfLと同じCubic Transportation Systemsで、ここでのノウハウを投入するとみられる。
前述したApple Payの「ニューヨーク市交通への対応」がどちらを指すのか現時点で不明だが、読み取りエラーのトラブルも多い磁気カードの置き換えは非常にうれしいニュースだ。
オープンループのメリットは、事業者のコスト負担を減らしつつ、利用者が普段使いのカードをそのまま公共交通に利用できること。特に後者はその都市の住人ではないインバウンド旅行者にとって大きなメリットであり、「いつもロンドンに行くたびにOysterカードを買っている」といったことがなく、空港やターミナル駅に到着してすぐ地下鉄やバス乗り場に向かうことを可能にする。Mastercardが2016年に出しているレポート(※PDF)では、オープンループ導入が事業者にとってコスト効果がどれだけ大きいかを確認できる。
TfLのケースでは、2015年時点で月間50万枚のOysterカードが発行され、さらに金額チャージのためのキオスク端末の設備負担なども考慮すれば、大きな負担が事業者にのしかかっている。ただ、完全に営利団体として機能している日本の鉄道会社に比べ、海外の都市交通は市や国の補助金に多くを依存しているケースが少なからずあり、結果として路線維持や低料金でのサービス提供を実現している。そのためコスト面での監視の目も大きく、オープンループ採用はその解決策の1つとなっている。
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