Macworld Expoはなくなってしまうのか?――開幕直前リポートMacworld Conference & Expo 2009(3/3 ページ)

» 2009年01月06日 19時00分 公開
[林信行,ITmedia]
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来年以降のMacworld Expoはどうなる?

 アップルが出展を取りやめる来年以降、Macworld Expoはどうなるのか?

 Expoの会場を歩くと、ところどころに「Macworld 2010」という文字を見かける。来年の1月4日から8日、「アップル不在でもMacworldを開催する」という宣言だ。

 IDG Expoでは、このように来年以降も引き続きMacworld Expoを開催して行く意向だが、今後の運営の方針などについてはまだ決まっていないところもある。そこで1月9日(現地時間)の夕方に、Macworld Expo参加者を集めたオープンディスカッションイベントが開催される予定になっている。

 ちなみに日本では、アップルが出展をとりやめた後、Macworld Expo/Tokyoの開催はなくなってしまったが、その分、地方におけるMacのユーザーグループの集まりが活発化している。アップルが参加する大型のApple User Group Meeting(AUGM)も年に数回開催されている状況だ。

 一方で、来年以降のアップルのExpo不参加を歓迎する声もある。Macworldは、世界中から集まってくるメディアやブロガーに対して、開発者が自らつくった製品をアピールする場として成長してきたが、過去10年ほどのMacworld Expoでは、アップルが毎回大型の新製品を発表してきたため、小さな開発会社がメディアに取り上げられ、スポットライトを浴びる機会はどんどん減りつつあるという現実があった。そう考えると、アップルのサードパーティの活性化のためには、アップル不参加のほうがむしろよい一面もあるのは確かだ。

Macの成長を支えてきたイベント

 1984年、初代Macを発表した当時のアップルが抱いていた目標は、世界を変えることだった。使い勝手のいい革新的なパソコンで世界を変えることだった。しかし、それまでのパソコンと劇的に異なり、価格もやや高かったMacの価値を知らしめるには何かの工夫が必要だった。

 そこでアップルは、出版社であるIDGと組み、Mac専門の雑誌「MACWORLD」を創刊するように仕掛けた。そしてその翌年には、Mac関係の開発者らが一堂に会せるように、Macworld Expoというイベントを開催し始める。

 初期のMacworld Expoは、シビックセンターという場所の近くにあるBrooks Hallという場所で開催されていた。しかし、年々参加者が増え、同会場では人が収まりきらなくなると、やがて新設されたMoscone Center(モスコーニセンター)という会場が使われるようになる。その後、Macworld ExpoはこのMoscone Centerにも収まりきらなくなり、近くにあるマリオットホテルの地下大ホールを使い始め、続いてMoscone Centerに巨大な南館が、そして最近では西館が建造されることになった。Macの成長を支えてきたこのイベントは、サンフランシスコの街とともに成長してきた(ちなみに、映画「氷の微笑」では、カーチェースをしていた女性が掘削工事現場に落ちて事故死するという場面が出てくるが、あの工事現場が現在のMacworld Expoのメイン会場であるMoscone Center Southだ)。

業界関係者に思い出のMacworldを聞く

 Macworld Expo開幕直前のこの時期、サンフランシスコには多くの業界関係者が集まってくる。このうち数人に初めて参加したMacworld Expoと、最も印象深かったMacworld Expoを聞いてみた。

 まずは1985年の最初のMacworld Expo以来、すべてのMacworldに参加している同イベント担当副社長のPaul Kent氏。彼はスティーブ・ジョブズ氏が「アップルは電話を再発明する」と宣言して初代「iPhone」を発表した2007年1月のMacworld Expo/San Fransicoが一番印象深かったと語る。

 一方、日本のIDGの社長でMacworld Expo/Tokyoを仕掛けてきた玉井節朗氏は(1989年のMacworld Expo以来ほとんどのMacworld Expoに参加している)、今回のアップル撤退について「やはりユーザーとしては、あのMacworld特有の“雰囲気、期待と盛り上がり、それに熱気”は決してお店(Apple Store)では味わうことはできない」と残念な様子だった。ちなみに同氏の印象に1番残っているMacworld Expoは、日本で開催されたMacwolrd Expo/Tokyo最後のスティーブ・ジョブズ氏の基調講演だという。「幕張メッセに約6000人以上の観衆が集まり、スピーチでどっと盛り上がった一瞬、日本のユーザーも米国と同様、こんなにアップルを愛しているんだと感じたとき」だったと振り返る。

 もう1人、日本でも発売されていた「MACWORLD」の編集長、David牛島氏にも聞いてみた。同氏は「Macworld以外も含めていいなら、1984年に行われた初代Macの発表会」、Macworld Expoというくくりなら「東京で行われた初めてのMacworld Expo」が最も印象深かったと語っている。また、今回の発表に関して牛島氏は、実はスティーブ・ジョブズ氏は、Tinaというブロンド美人とデートをしていたために最初のMacworld Expoには(サンフランシスコ市内にいたにも関わらず)参加しなかったらしいというエピソードを披露した。この件については、牛島氏のかつての同僚で初期のMacworld Expoを手がけたDavid Bunnel氏が、SFGateというサンフランシスコの新聞社が運営するWebサイトに最近記事を書いている(SFGate/Steve Jobs didn't make the first Macworld, either)。


 最後に筆者のMacworld Expoの思い出を語ろう。筆者が参加した最初のMacworld Expoは、1991年開催のMacworld Expo/San Franciscoだ。すでにMoscone Centerがオープンした後で、メイン会場だったBrooks Hallの存在に気がついたのが取材の最終日だった、という苦い思い出があるが、それ以来すべてのMacworld Expoに参加している。

 そんな筆者にとって、最も印象深いMacworld Expoはといえば、1998年にBostonで開催された最後のMacworld Expoだ――その当時、アップルは風前の灯火。財政的にも苦しく、新聞には毎日のように他社による買収のウワサが取沙汰されていた。もはやアップルがコンピューター業界のメジャープレーヤーになることはないと思われていた。

 しかしそれから数年後、アップルはiMacで世界を仰天させ、iPodで音楽業界を席巻し、そして2007年にはiPhoneで世界の電話業界に無視できない大きな衝撃と変化をもたらした。そして今では、その影響の余波がMacの売り上げ増にも結びついている。

 2009年のMacworld Expoでは一体何が発表されるのか

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