ゲーム機、パソコン、スマートフォン、タブレット。
21世紀を今生きている人で、これらの機器でゲームをしたことがない人は少数派だろう。中には、ゲームが目的でこういった機器を買った人も少なくないはずだ(ゲーム機は当然そうだろうが)。
最近、電車で真剣な顔をしてスマートフォンをのぞき込んでいる人を見ても、実はゲームをプレイしていた、ということが少なくない。
でも、改めて聞きたい。「そのゲーム、本当に面白いですか?」と。
いつの間にか、ゲームはえげつないビジネスの側面を持つようになってしまった。「後ちょっと」というところでアイテムが足りなくなる。数百円の課金をすれば待ちわびていたステージをクリアして次に進め、今日を1日スッキリした気分で過ごせる……。
こうして課金を繰り返し、気が付けば驚くような金額を払っていた、なんていう経験も現代人の多くが通ってきた道だ。
ネット対戦で容赦なく自分を倒していった相手に、このアイテムさえあれば勝てるというアイテムを売りつけられることもある。要はプレイヤーの悔しさをあおってお金をどんどん使わせる仕組みだ。もちろん、お金を注ぎ込めば注ぎ込むほど強くなるので、ゲームの中でも資本主義を痛感させられることがある。なんとも悲しいが、これが昨今のゲーム作りのある種の“定石”となってしまった。
これは2009年、App Storeがアプリ内課金(In-App Purchase)を解禁してから一気に世界に広まった傾向だ。これが原因で何度か社会問題として取り上げられることもあったが、本質は改善しないまま干支(えと)が1周してしまうほどの長い間、我々はこういったものを容認してきてしまった。
もちろん、プレイするか否かも、課金するか否かも本人次第と言えば本人次第でその通りだが、自分や親戚の子供に本当に良かれと思って勧められる人はどれくらいいるのだろう。
当然だが、全てのゲームがこういった作られ方をしているわけではない。中には今日でも、この手の課金が一切ないゲームもある。
ただし、ちょっと進むごとに広告が表示され、しばらくゲームが止まってしまう。まるでCMで引っ張り過ぎて、いつまでも肝心の場面が見られないゴールデンタイムのTV番組のようだ。
ゲーム開発者も、それなりに時間とコストをかけてゲームを作っているのだから、対価を得るのは当然だ。だから、昔はほとんどのゲームがお金を出して買うものだった。しかし、とりあえずプレイさせて中毒にさせて、そこからもうける「アイテム課金」型のゲームは、ゲームを無料で配るのが定石だ。
このようなゲームに負けずに、プレイヤーを増やそうとすると、必然的にゲームそのものは無料で配らないといけない。では、どうやって開発費を回収してもうけるかというと、広告に頼るしかなくなってしまう。
こんなことが20年ほど続く間にもうかるゲームソフト会社は増えたが、文化として語られるゲームは減り、堂々と顔と名前を出してゲームを作るゲームクリエイターの登場も減った印象がある。
こうした状況に一石を投じようとしているのがAppleの「Apple Arcade」だ。
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