練習ついでにWebサイトに絵を載せる趣味をしていると、出版社の目に留まるようになり、小さな仕事が舞い込むようになります。十分な仕事とは思えないものの、会社員としての日々にダレてきていたこともあって、暮らせなかったら田舎にでも帰るかぐらいの気持ちでそのまま退職、独立してしまいました。
そういう意味で自分は「技術者としてはドロップアウト組」です。「絵がうまいね、すごいね」とか「絵で稼いですごいね」みたいな話はよくあるとは思うんですが、自分は逆に、技術分野の仕事をちゃんとできず、長くも出来ませんでした。
なので、それができている人に敬意みたいなものを感じてしまいます。これは本誌のような仕事でも役立っている気がしなくもないです。
この頃から、PCはただの道具から、日々の糧の要になる機材として見るようになります。
当たり前ですが昔のPCは今よりはるかにCPUの処理速度が遅く、演算をGPUにオフロードすることもできず、SSDもなく、メインメモリも少なかったです。業務でのイラスト制作には油断できない時代でした。
特にポスターなどの大判印刷に対応した制作では、遅いHDDに作られたスワップファイルにアクセスするのを待ちながら使うことになるので、結構な苦痛を伴います。
しかも、当時メインで使っていた制作アプリが自分の環境では不安定で、保存するときが一番リスクが高く、上書き保存中に落ちると確定でファイルを壊すというなかなかのマゾっぷり。毎回ファイル名を変えながら保存することで被害を低減していました。
そこにさっそうと現れたのがGIGABYTEのi-RAMです。DDRメモリをSATAディスクに変換することができる拡張カードです。
当時はメインメモリを割いてディスク扱いにする「RAMディスク」こそあれ、SSDなどは言葉すらなかった時代。メインメモリを犠牲にせずにスワップ動作を圧倒的に速くでき、アプリも落ちにくくなる可能性があるなら夢のようなデバイスで、ワラにもすがる思いで早速購入して使っていました。
確かに大判の制作は楽になったものの、アプリの安定性に良い影響を与えるとまではいきませんでした。
ゼロ年代中盤にはAthlon 64などで猛威を振るっていたAMDですが、上位モデルの性能や効率などでIntelに肩を並べるのに苦労しているように見えてきた時期があります。当時、既にAMDに愛着がわいていた自分は「自分がAMDで組めるのは最後になるかも……」などとポエムをつぶやきながらPhenom IIでPCを組みました。
その後のAMDは自分で作った「ブルドーザー」(開発コード名)にひかれて重傷を負い(AMD FXなどのBulldozerアーキテクチャ製品が不評でシェアを落としてしまった)、いつまで会社がもつのかという状況が長く続きました。
対照的にIntelは第2世代Coreの「Sandy Bridgeアーキテクチャ」が好評で、満足して長く使うユーザーが多く、発売から7年ぐらい後に「Sandyで十分おじさん」という言葉が生まれます。
「Sandyおじさん」の裏には、この時期のIntelはライバル不在で製品改善を自分のペースでできたのもありそうです。それが多コア志向で現れたRyzenに追い立てられたり、AppleのMacに採用されなくなったりした後に思い出すと、また別の感慨みたいなものを覚えずにはいられません。
時代と共に移り変わる“性能”の意味 メーカーやアーキテクチャへのこだわりはもはや不要?
数え切れないほどPC/ガジェットに触れてきたが「本質は変わっていないのでは?」と気が付く、私のPC遍歴30年
まさかの6万円台で上位モデルの描き味! ワコムの一体型Androidタブレット「MovinkPad 11」をプロ目線でレビュー
ワコムの新型液タブ「Cintiq 16/24」が「Cintiq Pro」キラーな気がしてならない プロ絵師がつぶやいた理由
「究極の液タブ」は小型化しても究極のまま? ワコムの「Cintiq Pro 17」をプロ絵師がレビューCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.