イラストレーターが見る、自作PCとメーカーの立ち位置の変遷 30年の浮き沈み私のPC遍歴30年(2/4 ページ)

» 2025年08月18日 12時00分 公開
[refeiaITmedia]

2005年〜:独立してイラスト機材として見るようになったPC

 練習ついでにWebサイトに絵を載せる趣味をしていると、出版社の目に留まるようになり、小さな仕事が舞い込むようになります。十分な仕事とは思えないものの、会社員としての日々にダレてきていたこともあって、暮らせなかったら田舎にでも帰るかぐらいの気持ちでそのまま退職、独立してしまいました。

 そういう意味で自分は「技術者としてはドロップアウト組」です。「絵がうまいね、すごいね」とか「絵で稼いですごいね」みたいな話はよくあるとは思うんですが、自分は逆に、技術分野の仕事をちゃんとできず、長くも出来ませんでした。

 なので、それができている人に敬意みたいなものを感じてしまいます。これは本誌のような仕事でも役立っている気がしなくもないです。

 この頃から、PCはただの道具から、日々の糧の要になる機材として見るようになります。

1枚の画像を作るだけなのに重く、不安定だった時代

 当たり前ですが昔のPCは今よりはるかにCPUの処理速度が遅く、演算をGPUにオフロードすることもできず、SSDもなく、メインメモリも少なかったです。業務でのイラスト制作には油断できない時代でした。

 特にポスターなどの大判印刷に対応した制作では、遅いHDDに作られたスワップファイルにアクセスするのを待ちながら使うことになるので、結構な苦痛を伴います。

 しかも、当時メインで使っていた制作アプリが自分の環境では不安定で、保存するときが一番リスクが高く、上書き保存中に落ちると確定でファイルを壊すというなかなかのマゾっぷり。毎回ファイル名を変えながら保存することで被害を低減していました。

超高速変態ストレージ「i-RAM」

 そこにさっそうと現れたのがGIGABYTEのi-RAMです。DDRメモリをSATAディスクに変換することができる拡張カードです。

我が人生 私のPC遍歴30年 イラストレーター オウム 自作 独立 震災 ワコム 今見ると、PCIならPCIのストレージにすれば? みたいな気がしますが、そういう時代じゃない、ということでしょうか

 当時はメインメモリを割いてディスク扱いにする「RAMディスク」こそあれ、SSDなどは言葉すらなかった時代。メインメモリを犠牲にせずにスワップ動作を圧倒的に速くでき、アプリも落ちにくくなる可能性があるなら夢のようなデバイスで、ワラにもすがる思いで早速購入して使っていました。

 確かに大判の制作は楽になったものの、アプリの安定性に良い影響を与えるとまではいきませんでした。

最後と思って組んだAMD機と、AMD冬の時代

 ゼロ年代中盤にはAthlon 64などで猛威を振るっていたAMDですが、上位モデルの性能や効率などでIntelに肩を並べるのに苦労しているように見えてきた時期があります。当時、既にAMDに愛着がわいていた自分は「自分がAMDで組めるのは最後になるかも……」などとポエムをつぶやきながらPhenom IIでPCを組みました。

 その後のAMDは自分で作った「ブルドーザー」(開発コード名)にひかれて重傷を負い(AMD FXなどのBulldozerアーキテクチャ製品が不評でシェアを落としてしまった)、いつまで会社がもつのかという状況が長く続きました。

 対照的にIntelは第2世代Coreの「Sandy Bridgeアーキテクチャ」が好評で、満足して長く使うユーザーが多く、発売から7年ぐらい後に「Sandyで十分おじさん」という言葉が生まれます。

 「Sandyおじさん」の裏には、この時期のIntelはライバル不在で製品改善を自分のペースでできたのもありそうです。それが多コア志向で現れたRyzenに追い立てられたり、AppleのMacに採用されなくなったりした後に思い出すと、また別の感慨みたいなものを覚えずにはいられません。

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