3Gの普及が進むようになると、携帯電話やスマートフォンでメールや写真を送り合うことも当たり前にできるようになった。当初はメッセンジャー、後にメール端末となるBlackBerryも2000年台中半からカラーディスプレイモデルを投入し、スマートフォンとして人気を高めていった。またNokiaはSymbianスマートフォンを次々と投入し、スマートフォンでも圧倒的なシェアを誇った。
iPhoneが登場する直前まで、スマートフォンといえば「端末種類の多いNokia」「QWERTYキーボードを備えたBlackBerry」「スタイラスペンで操作するWindows Mobile」というすみ分けができていた。Windows MobileではSamsungやHTCが多数の製品を出しNokiaに対抗していた。しかしそんな各社の動きを全く無視するかのように、突如運命の日がやってきたのだった。
2007年1月9日、Appleはサンフランシスコで開催したMacworldで「iPhone」を発表した。既に「iPod」で音楽プレイヤー市場を制していたAppleは、そのiPodにインターネットアクセスと通話機能、さらに指先でタッチする新しいユーザーインタフェースを搭載した。iPhone以前のタッチパネル端末は、全てがスタイラスペンを使う必要があったのだ。この初代iPhoneは同年6月に米国で発売され、世界中からの注目を集めた。通信方式はGSM(2G)にしか対応せず、当初はアプリも使えなかったが、PCと同じインターネット環境を手のひらで使える端末であり、当時世界中で発売されていたどのスマートフォンより優れた製品だったのだ。
翌2008年には「iPhone 3G」、2009年に「iPhone 3GS」と毎年1機種だけモデルチェンジを行い、また販売国、販売事業者も少しずつ拡大。このことがプレミアム感をさらに高めて人気を各国で広げていった。iPhoneの販売に関しては、通信事業者に一定数の購入を義務付けたとされ、Apple側が指定した台数を仕入れなくては次年度以降の新製品の継続販売ができないとされたという。そこでiPhoneを扱う通信事業者はiPhoneの販売を強化、またiPhone利用者のデータ利用急増によりネットワークの増強も図っていった。iPhoneの登場が、世界の通信事業者の3Gネットワークを一気に強化させたのだ。
一方、Appleとは別にモバイル端末を開発していたGoogleは、iPhone人気を受けてスマートフォンの投入を急ぎ、iPhoneから約1年遅れてAndroid OSを搭載したスマートフォンを発売。最初のモデルは米T-Mobile向けの「G1」で、メーカーはHTCだった。HTCは自社製品のOSをWindows MobileからAndroidへと変更し、翌2009年からスマートフォンのラインアップを一気に増やしていく。
2009年にはSamsungから「Galaxy S」が登場。iPhoneと変わらぬ薄型、スタイリッシュなボディーで注目を集める。しかしそのデザインやパッケージがiPhoneに似ていたということからAppleから訴訟を受けることになる。逆に言えば、Galaxy SはAppleにとって脅威と感じられるほど出来のいい製品だったということだ。SamsungはiPhoneが登場したとき「Omnia」(オムニア)という名前のWindows Mobile(日本ではタッチパネルフィーチャーフォン)を出して対抗したがヒットせず、Androidに乗り換えたことで一気に販売数を拡大していった。
iPhoneとAndroidスマートフォンが登場してもNokiaは世界市場でシェア1位の座を守っていたが、年々販売数を落としていく。NokiaはSymbian OSのタッチパネルモデルを増やした他、LinuxベースOS「Maemo」搭載のインターネットタブレットを出すなど、AppleやAndroid陣営への対抗策を一本化することはできなかった。2008年には無料メールサービス「Nokia Mail」を開始、2009年にはSymbianを子会社化したが、急激に勢力を増すAppleとGoogleの前には無力だった。
中国や新興国ではスマートフォンはまだ高根の花であり、山寨機と呼ばれる無認可製造フィーチャーフォンの普及が急激に進んだ。山寨機はタッチパネルを搭載し、デュアルSIMに対応、アナログTVが見られるものもあり、さらに価格が安いことから新興国で大人気となる。一時は世界での販売台数が2億台を超えるほどだったが、この数字は世界の携帯電話出荷台数といった調査会社による統計には出てこない、裏の数字でもあった。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.