あれは1997年頃のことだと思う。僕はPC雑誌(紙の時代のPC USER)の撮影で忙しい毎日を送っていた。Windows 95が発売されて以来、PCの販売台数はうなぎ登りで、国内外のメーカーからおびただしい数の新機種が発表される。その取材用の評価機を借りてはスタジオに運び、撮影するのだ。
PC USERはかなりマニアックなスタンスの記事を作っていたので、評価機はスタジオで直ちに分解される。マザーボード、グラフィックスカード、サウンドカード、CPU、メモリ、HDD、電源などにばらして、それぞれのパーツを撮影するのだ。もともと好きな分野だったが、僕も自然にPCの知識を身につけることになった。
PCを分解しながらの撮影は朝方まで終わらない。だから切りのよいところで出前を取って夕食になる。編集部の会議スペースでぐったりして食事をしていると、隣で元気のよい声が聞こえた。
「我が社の新製品です。パテントも取れそうですし、F社が採用してくれることも決まりました」
どこかのメーカーの広報だろうか、テーブルをはさんで自社の製品を編集部に売り込んでいる。記事に取り上げてもらいたいのだ。何となく目がいくと、それは一風変わった形のCPUクーラーだった。
冷却フィンがアルミ鋳造製というのがまず目を引いた。しかも、冷却ファンからの風が、きれいに放射状に抜けて行くように溝が作られている。表面積もかなり稼げているはずだ。これは冷えるだろう、という期待が広がる。
この時代のCPUクーラーは、もともとファンのことなど考えず、自然冷却させるために剣山のように切り立った冷却フィンが多く、冷やし切れなくなって上にファンを載せただけ、というおざなりなものが大半だったのだ。それに対してこのクーラーはちゃんと設計思想があり、一目見ただけでその意図が理解できる。
「星野金属工業」という、信頼できそうな中小企業はこんな名前だろうと思わせるようなメーカー名と、「WiNDy」というブランド名はすぐに頭に入った。後日、PCショップでWiNDyのクーラーを購入したのは言うまでもない。
CPUクーラーの具合は悪くはなかった。クロックアップなどという無理な使い方には冷却力が不足していたが、「安定している」感じがするのがよかった。何より、PCケース側面のカバーを開けたときの眺めが僕は気に入っていた。上からCPUに向かって叩きつける風の通り道が、僕にははっきりと見えていたからだ。
CPUクーラーである程度の手応えがあったのだろう。星野金属工業は間もなくWiNDyブランドでPCケースの製造を始める(この際、製造を星野金属工業、販売をソルダムが担当する2社体制となる)。ニュースリリースを読んで驚いた。価格が高いのだ。オールアルミの高級ケースなのは理解できたが、一般的な鉄製のケースの3倍以上というのは……。実物を見て納得しなければ出せない値段だ。
新製品は次の撮影日に、スタジオに運び込まれた。ヘアライン仕上げのアルミのミドルタワー。きれいな存在感だ。ちょっと奥行きが長くて容積が大きいが、ミドルタワーの範ちゅうだろう。撮影台にセットしようとして持ち上げると、重い! アルミ板の厚みがありすぎて鉄板なみに重いのだ。これを高級感と見るのかは、人によって意見が分かれると思った。
ケース内部を見ると、5インチベイ、3.5インチベイも普通の数で、フロントファン、リアファン、加えて天面にもファンが付いていた。一見、考えられたケースのように見えたが、僕には妙な違和感があった。このケースは素材の高級感は最高だが、内部の設計が通り一遍なのである。これを買って、1週間に3度ぐらいはカバーを開けてみる人種の心が分かっていないのではないか、という気持ちが抑えられなかった。
Intelが決めたATXという規格がある限り、PCケースのデザインが画一的になるのはしょうがないことだ。しかし、僕はCPUクーラーで見た星野金属工業のオリジナリティにかなり期待していたのである。CPUとチップセット、グラフィックスカード、HDDをいかに効果的に冷却するか、今までにない方法を考え出してほしかったのだ。
流行はしなかったが、Intelが2003年に提唱したBTX規格や、その後に続く倒立ATXの考え方(通常のATXとマザーボードの向きを逆にし、発熱するパーツを効率よく冷やす)などは、この時代でも実現できたのではないだろうか。
十八番であろう金属加工と高い質感で消費者にアピールした星野金属工業とソルダムは、PCケース界で一時代を築いた。フロントカバーが傾斜した、カッコイイ「JAZZ」というケースなどは注目もされたし、かなり売れたのだ。
しかし紆余(うよ)曲折の末、2012年6月、星野アイエヌジー(星野金属工業とソルダムの最終的な存続会社)は廃業を表明した。
何が原因なのかは簡単に総括できないだろう。ただ、今感じるのはJAZZのフロントカバーの傾きに設計上の必然的な意味があれば、その後の展開は変わっていたかもしれないということだ。
僕の心を一瞬にしてワクワクさせた、WiNDyのCPUクーラー。その流麗な溝のデザインを眺めていると、しみじみと妄想が広がるのである。
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