1975年(昭和50年)、日本国有鉄道(国鉄)の秋葉原貨物駅が廃止となり、1989年(平成元年)に駅前にあった神田市場が移転した。これにより、JR秋葉原駅の北側には6ヘクタールもの広大な空き地ができた。都心としては広大な土地だが、秋葉原貨物駅跡地は日本鉄道建設公団(鉄道公団:国鉄の鉄道敷設を担っていた特殊法人)、そして神田市場は東京都所有と地権者が異なっており、再開発のとりまとめにかなりの手間がかかったようだ。
苦労の末、1992年9月に秋葉原地区開発の基本方針が決定した。ここから複数の地権者と協力しあって土地計画を進めることになる。都所有の土地は「世界規模のITセンターを作り、500台以上の駐車スペースを確保すること」を条件にクロスフィールドに売却し、秋葉原貨物駅跡地はTX秋葉原駅のために阪急電鉄が買い取った。
複数の地権者が混在するなか、街全体の発展のために千代田区がリーダーシップをとって事業者(土地の所有者も含む)と地元の町会や商店会がひとつのテーブルで協議する場を設けた。この協議会は「Aテーブル」と呼ばれ、2002年4月の発足から現在まで継続している。
このAテーブルは秋葉原を街づくりするために機能し、2008年には「発展的解消」(千代田区)になる。つまり、そのときまでに大規模な秋葉原の土地計画をおおむね完了させる予定であることが分かる。
それをふまえて現在の様子とともに、残りの開発地区を見ていこう。
今でも建設中の建物はJR山手線の東側に集中している。Aテーブルに沿った現在の“アキバ”がある西側の大規模な開発は現時点ですでに、ほぼ完了したと考えていいだろう。駅東側のビルの開業とともに、東西を結ぶ遊歩道ができ、気軽に線路を横断できるようになるという。JR山手線を横断する通路が現在から2本増えることになる。
千代田区は「各ビルの所有者には街の発展のために、公共スペースを提供してもらった。街を訪れた人が東西の街を回遊することで街が一体となることを期待している。再開発によって“アキバ”が拡大すれば、もちろんそれに越したことはない」と語る。
街のハードが変わることによって、ソフト面も刺激をうける。後編は「電気街」「アニメの街」といったアキバがどうなっていくのか、その可能性を探る。
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