このWindows版Safariへの反応はさまざまだが――そう、反響はおおむね悪い。何人かのシェアウェア作者から「Webアプリケーションというやり方は誰でも思いつくことで、我々はCocoaでの開発を期待していた」といった声が聞こえてくる。
また米国のいくつかの媒体が「WWDCに参加していたGoogleの社員もがっかりしている」という様子を伝えている。
ただし、ストリーミング放送を見てもらえば分かるが、iPhoneではWebブラウザのウィンドウの枠が見えないおかげで、ネイティブアプリケーションとWebアプリケーションの動作の区別がつきにくい、というのもまた事実である。
最近ではGoogleがGoogle Readerなどのアプリケーションをオフライン状態(インターネットにつながっていない状態)でも利用可能にする「Google Gears」を発表しており、MacのSafariにも次期バージョンで対応する予定を明かしている(この次期バージョンが、Safari 3を指しているのかは現時点では不明だ)。
Google Gearsの技術がGoogle Docsに対応すれば、ブラウザ経由で表計算やワープロの機能も利用できるようになるし、実はSafari経由でもたいていのことはできるようになる。
GoogleCEOのEric Schdmit氏を取締役に迎えたことで、ジョブズ氏がいまさらになって、ここまできていたWebアプリケーションの有用性に開眼したというのが、今回の発表の真相なのかもしれない。
WWDC参加者がこの発表を気に入らなかったのは、単純に言えば開発にかかる手間の問題だ。Webアプリケーションの開発では、今日のCocoa技術を使った開発とは、まったく異なるスキルが要求される。
そしてWebアプリケーションの開発で最も大変なのは、Webアプリケーションを異なるWebブラウザのすべてで動作検証し、対応させることだ。ここでジョブズ氏の中では、音楽ビジネスの成功以来身につけた、かつてのマイクロソフト的な“勝てば官軍”の論理が動き出したのかもしれない。
SafariがWebブラウザの市場シェアを大きく伸ばし、Internet Explorerと張り合えるくらいになれば、あるいはせめてFirefoxやOperaといったブラウザを気にしないですむくらいのシェアを獲得できれば――Webアプリケーションの開発者たちの間でも、「とりあえずInternet ExplorerとSafariだけに対応すればいいか」というコンセンサスが生まれるかもしれない。
ここでジョブズの皮算用をシミュレーションしてみよう。まず、現在のSafariのユーザーは1860万人だ。
もしWindows版Safariが、5億本出荷したというWindows版iTunesと同じくらいの成功を収めることになったとしたら(さすがにそれは現実的ではないが)、ここでシェアは一気に何十倍にもふくれあがる。
これに加えてiPhoneの出荷を見込んでいることを考えると、Safariのシェアはさらに飛躍的に伸びる。
携帯電話用のWebブラウザといえばマイクロソフトにもWindows Mobile用のPocket Internet Explorerがあるが、これぞアップルがいうところのベビー・インターネット――完全なWebブラウザではなく、完全な機能を備えていない簡易版のWebブラウザであり、マイクロソフトの戦略の弱点でもある。
ちなみにSafariにもベビー・インターネット版がある。SafariのベースになっているWebKitはオープンソースで公開されており、ヨーロッパで絶大なシェアを誇るNokiaの携帯電話の一部が、このWebKitを採用している。最近、日本でも発売が始まり、一部のビジネスマンの間で人気を集めている「E61」などが代表格で、Nokiaは時折、発表会で同製品のWebブラウザを「Safari」と呼んでいる。話を整理しよう。
1、Webアプリケーションの開発には、ネイティブアプリケーション開発とは異なるスキルが要求される
2、最も大変なのは各種Webブラウザとの互換性を図ることで、対応させるべきWebブラウザが減れば、開発は容易になる
3、Safariの現在の利用者は1860万人
4、アップルはWindows版のSafariをリリースし、数億人規模のユーザー増を狙っている
5、アップルはSafari完全版を標準搭載したiPhoneを1000万台出荷予定(携帯電話総出荷台数10億台の1%を目標)
※記事初出時:iPhoneの出荷目標台数の記述に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。
これこそがアップルのシナリオであり、これまでWebのトレンドから置き去りにされてきた同社が、一気にWebビジネスの市場に攻勢をかける究極の一手なのだ。
ここで気になるのがアップルの取締役であり、GoogleのCEOでもあるEric Schdmit氏の立場だ。Googleは、Webアプリケーションの開発を行うだけでなく、さまざまなWebアプリケーションとの親和性の高さで人気が高いオープンソースWebブラウザ「Firefox」の最も強力な応援団でもある。また、Google社内にもGoogleの仕事としてFirefoxのオープンソース開発に携わっている社員が数人いるのだが……。
今回の発表ではこれ以外にも気になるポイントがいくつかあった。基調講演の内容に対して旧来のMac開発者たちが落胆したのは、Cocoaなどのアプリケーション開発技術を使ってiPhoneのアプリケーションを開発できない、という点にある。
しかし、実はアップルには、Cocoa技術を使ってiPhone用のアプリケーションを開発する技術がある。それはWebObjectsという旧ネクストが開発した技術で、現在ではMac OS XのDVD-ROMの開発者キットに密かに盛り込まれている(ただし、現行のWebObjectsはC/C++やObjective-C言語対応ではなくなり、Javaでしかプログラミングができなくなってしまっているようだ)。Cocoaの開発の技術を用い、ネイティブ・アプリケーションの開発と同じ要領でWebアプリケーションをつくる技術として10年くらい前にはかなり熱い注目を集めていたが、最近アップルは同技術をあまり推しておらず、今回も語られることはなかった。
ところで、最近語られることがなくなったネクストの技術がもう1つある。それはかつて「Cocoa for Windows」「YellowBox for Windows」、そしてその前は「OpenStep Enterprise for Windows」などと呼ばれていたネクストのWindows用アプリケーション開発環境だ。
iTunesは元々、旧Mac OS用の技術でつくられており、Mac OS X版はCarbonという技術でつくられている。このためWindows版の開発には、それなりの苦労を要したはずだ。しかし、今回発表されたWindows版Safariの開発は、アップルにとってはかなり簡単だった可能性がある。というのも、Safariは初めからCocoaという技術でつくられており、アップルの社内には、Cocoa技術でつくられたアプリケーションをMacだけでなく、Windows用にもコンパイルするCocoa for Windowsという技術があったからだ。
今回配付されているWindows版Safariには、Mac OS Xの標準技術の一部がDLLなどの形で盛り込まれていることなどから、このCocoa for Windowsがアップル社内のどこかで密かに開発が続いているのではないかと思わせる節がある(ちなみにCocoa for Windowsは、表向きには“どうやってビジネスにできるか分からない”という理由で、1990年代末に開発が中止されている)。
一見、たいしたことがないように感じるWindows版Safariの発表だが、踏み込んで考えてみると、これはアップルにとって非常に大きな方向転換の第一歩なのかもしれない。もっとも、それだけに日本語Webページの表示などに対する悪評は早く解決してほしいものだ。
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