DTPやマルチメディアと続いたPC革命では、Macは数多くの先行事例を生み出し先導的な立場を築いていたが、その後、訪れたインターネット革命では少しその立場は弱まった。
インターネットの多くの技術は、PCのモデルの違いを吸収して、どのPCでも同様に扱えることを理想としていたからだ。Webブラウザ登場以前、1991年に米Qualcommが買収し定番となっていた電子メールソフト「Eudora」にしても、最初機のWebブラウザである「NCSA Mosaic」や、その後に登場した「Netscape Navigator」もMac/Windowsの隔てなく動作した。
一番大きな違いは、インターネットの接続に必要なTCP/IPという技術にどう対応させるかだ。Appleはいち早く「MacTCP」をOSに実装してサポートを始めた。
1993年にはOS標準でインターネットに接続できるようになった。これに対してWindowsは少し状況が複雑で、本当に誰もが問題なく簡単にインターネットに接続できるようになったのは、1995年のWindows 95以降(より正確にはMicrosoft Plus! for Windows 95の追加、またはOEM Service Release 2以降)のことだ。
そう考えるとMacは、インターネット接続で若干のアドバンテージがあり、もともとグラフィック制作関係のツールが多かったり、QuickTimeのおかげで動画コンテンツが扱いやすかったりすることもあり、Webコンテンツの制作に使われることが多かった。
しかし、Windows 95の登場後は、こうしたアドバンテージもどんどん小さくなっていった。
この1995年頃からMacのイノベーションは急速に失速をする。技術的にはすごいことをいろいろとやっていた。「International Language Kit」という技術が登場して、世界中どこの国で買ったMacでも追加インストールをすれば日本語も中国語もアラビア語も使えるようになった。
また、Apple/IBM/Motorolaの3社連合で開発した高速プロセッサ「PowerPC」というプロセッサに、ほとんどそれまでの違いを感じさせずにユーザーを移行させた。
その後、そこからIntelに、そして最近ではApple Siliconへと、Macは合計3度に渡ってプロセッサ移行を果たしている。プロセッサの移行とは本来、そんなに簡単なものではない。
ただし、以前はモデル数を増やすという戦略で製品の在庫があふれて財政難に陥っていたところ、次世代OSの開発につまずいていた1995〜1997年頃は大きな停滞を強いられた。人気を支えていたMacでしか利用できなかったソフトの多くがWindows 95に対応したこともあり、Windows 95に人気を奪われ大失速をしていたところ、スティーブ・ジョブズ氏が率いるNeXTを買収した。
これにより、Appleは新しいOSだけでなく、スティーブ・ジョブズ氏も手に入れた。最初はAppleの経営には興味がないと言っていたジョブズ氏だが、デザイン部門のジョナサン・アイブ氏との出会いで気が変わり、“社内クーデター”でAppleのトップに踊り出た。
そして自ら経営に乗り出し、アイブ氏らのチームと「3ステップでインターネットにつながる」「フロッピーディスクドライブなどのレガシーデバイスを廃止して拡張性をUSBだけに絞る」「デザインを優先して、独自の半円形のロジックボードを採用」「半透明のポリカーボネート素材にした」──という斬新な「iMac」を1998年に発表し、劇的な復活を果たした。
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