俳優のトム・クルーズ、実業家のリチャード・ブランソン――。彼らに共通するのは、失読症による学習障害を克服して、自身が目指した道で成功している点だ。読み書きの苦手な日本の子供にも、自分の夢を実現できる学びの環境を作ろう――。こんな取り組みを始めたのが、DO-IT Japanだ。
DO-IT Japanは、病気や障害を抱える学生が、希望する大学に進学したり、望む職場に就職したりすることを支援する団体。全国から選抜された学生にコンピューターや支援機器を提供するとともに、目標の達成に必要な知識や能力を身につける手助けをする。
識字障害を持つ子供のためのプログラムは、その一環として開始するもの。全国の応募者の中から5人の小学生が選ばれ、さまざまな支援を受けながら大学への進学を目指す。学習を支援する機器として配布されるのは、アップルの「iPad 2」だ。
「読み書きが苦手な子供は、それだけで手一杯になってしまい、学びの大事なところにたどりつけない」――。こう説明するのは、プロジェクトに講師として参加する、東京大学 先端科学技術センター 特任研究員の高橋麻衣子氏だ。
学習する上で重要なのは、読み書きで情報を得たあとの“考え、まとめ、表現する”ところだが、識字障害の子供たちはそれをこなす能力を持っていながら、読み書きの部分で疲弊してしまうのだという。この“読み書き”の部分をテクノロジーでサポートし、ほかの学生と同じように学習できる環境をつくるのがプログラムの役割だ。
プロジェクトに参加している臨床発達心理士の河野俊寛氏によれば、iPadが識字障害を持つ子供の学習に役立つということは、実証実験で分かっているという。「長野県の学校で識字障害の子供にiPadを渡し、教科書を読み上げて学習できるようにしたところ、効果が認められた」(河野氏)。
iPad向けには、音声をテキスト化するアプリやボイスレコーダーアプリがリリースされており、iPad 2にはカメラが搭載されている。こうした機能があれば、子供たちは分からないと思ったことをその場でメモし、あとで自分のペースに合わせて考えたり学習したりできる。iPadくらいのサイズなら持ち運ぶのも苦にならず、必要なときにすぐソフトを立ち上げられるので、読み書きの大きな助けになるというわけだ。
5人の小学生は、8月5日に開催されたDO-IT Japanの夏期プログラムで初めて顔を合わせ、iPad 2に慣れるための授業を受けた。今後は、テレビ電話機能のFaceTimeやSkypeを通じて、週1回くらいのペースで出される課題をこなす。DO-IT Japanは、iPad 2を読み書きの補助ツールとして使えるよう支援するとともに、大学進学とその後の就職のために必要になる生きる力やコミュニケーション能力を身につけるためのカリキュラムを作成し、生徒たちが大学生になるまでサポートを続ける。
DO-IT Japanは、5年前に大学生を対象とするプログラムを開始しており、障害を持つ学生が大学入試を受けやすくするための制度改革に取り組んでいる。プログラムを率いる東京大学 先端科学研究センター 人間支援工学教授の中邑賢龍氏によれば、識字障害を持つ学生については大学を受けられる学力レベルに達した高校生がほとんどおらず、「(読み書きだけで)しんどくなってしまうのが原因。それをなくそうという取り組み」と話す。5人の小学生は、IT機器を武器に大学進学を目指す初のモデルケースになり、DO-IT Japanはそのノウハウを同じ障害を持つ学生たちに発信していく考えだ。
「このプログラムに入っていない学生でも、読み書きが困難で、大学や高校に進学する際に配慮が受けられないようなことがあれば力になりたい。(小学生のプログラムについても)メーリングリストなどでの情報発信を検討しており、親同士のコミュニケーションも図れるようにしたい」(高橋氏)
中邑氏は、今の社会は“テクノロジーと一体化して生活する時代”になってきていると話す。例えば携帯電話の番号は、自分が記憶しているのではなく、携帯が記憶しているものを人が使いこなしているなど「記憶を外在化する時代になった」というのが同氏の見方だ。しかし、こんな時代になったにもかかわらず、入学試験などでは「テクノロジーのサポートが認められない」と指摘する。
「読み書きが苦手だから“ワープロを使って入試を受けたい”といっても、それがなかなか認められない。考えてみればおかしなことで、われわれはそれを変えたいと思っている」(中邑氏)。こうした制度を変えていくのが、今回選抜された5人の小学生たちというわけだ。
おりしも世間では、両足義足のランナーとして知られるオスカー・ピストリウスが、オリンピックへの出場を認められたことが話題になっていると中邑氏。技術がここまで人の力を補えるようになり、今は“何かの活動をどう実現できるか”を問う時代になったというのが同氏の主張だ。「(障害を持つ)子供たちの夢は、テクノロジーなしにはなかなか実現できない。私たちはそれを精一杯サポートし、一緒に世の中を変えていきたい」(中邑氏)
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