モバイル・コンピューティングはユビキタスへの一里塚書籍「モバイル・コンピューティング」第一章(3)

» 2010年03月30日 00時10分 公開
[ITmedia]
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この記事について

 この記事は、PHP研究所が発行する書籍「モバイル・コンピューティング」(著者:小林雅一)の第1章を、出版社の許可を得て転載したものです。


 ここまでスマートフォン関連の動向を紹介してきたが、これからのモバイル・コンピューティングを担うのは、実は他にもたくさんある。ざっとあげるだけでも、いわゆる「Netbook」と呼ばれる安い小型ノートPC、アマゾンが発売する「Kindle」のような電子ブック・リーダー、「ニンテンドーDS」のような携帯ゲーム機、さらにはインテルが推進する「MID」(Mobile Internet Device)と呼ばれるインターネット・アクセス用の端末などだ。

 その他にも多数のメーカーが、従来の製品カテゴリーに収まらない様々なモバイル・コンピュータを生み出そうとしている。その筆頭であるアップルはiPhoneの大成功にも飽き足らず、それとは異なる新種のタブレット型端末を開発した。それはキーボードを持たず、タッチパネルで操作する端末だが、iPhoneよりは一回り大きな10インチ程度のサイズだ。この新製品は主に、YouTubeのようなインターネット・ビデオや音楽を視聴するための端末だが、Kindleのような電子ブック・リーダーとしても使われるなど、汎用メディア・プレイヤーとしての性格を帯びている。たとえば、発行部数や広告収入の激減で、瀕死状態にある出版業界などは、このタブレット型メディア端末に再生をかけている。

 以上、様々な携帯端末は形状や用途は違っても、その多くが「ARM」(詳細は後述)と呼ばれるアーキテクチャ(設計方式)のプロセッサーを採用しており、お互いに親戚のような関係にある。この共通性のお陰で、今後モバイル・コンピューティングに関わるメーカーは、非常にダイナミックな商品展開が可能となる。たとえば携帯ゲーム機のメーカーが、その技術を生かしてゲーム指向のスマートフォンを開発するといったケースである。

 実際、最近のスマートフォンは新種のゲーム機として存在感を増している。iPhone向けに開発されたゲーム・ソフトの本数は2009年6月時点で約1万4000本に達するが、これはニンテンドーDS向け(約3500本)やプレイステーション・ポータブル向け(約3000本)を遥かに凌ぐ。いつの間にかiPhoneは、世界最大のゲーム・プラットフォームに成長していたのだ。これに危機感を募らせるゲーム機メーカーが、逆にスマートフォン市場に参入することも十分にあり得る。いわゆる「モバイル・オープン化」と呼ばれるトレンド(詳細は後述)の中で、これまで携帯電話業界の外側にいた任天堂やソニーなど様々な企業が、キャリア(携帯電話会社)のワイヤレス・ネットワークを使ってモバイル・ビジネスに参入できる土壌が形成されつつあるのだ。

 以上のような活況を見ても、やはり現在のモバイル・コンピューティングは、1980年代に勃興し、急成長したPC産業を彷彿とさせる。しかし、当時と今との大きな違いは、上に記したようなモバイル・コンピューティング端末の多彩さにある。つまり80年代のパーソナル・コンピューティング・ブームでは、MacintoshとWindows PCの違いこそあれ、最終的には「パソコン」と総称される1種類のマシンと、それを中心とするデスクトップ・コンピューティングへと収束した。ところが今回のモバイル・コンピューティング・ブームでは、それを担う端末が上記のように多岐にわたり、情報処理の仕方もまたバラエティに富むのである。

 この現象を、やや巨視的なコンピューティング史観から眺めると、非常に興味深い結論が導かれる。それはICT(情報・通信技術)業界が「ユビキタス・コンピューティング」へと向かう流れが、ようやく現実味を帯びてきたということだ。ユビキタスとは「遍在する(どこにでもある)」を意味するラテン語で、ユビキタス・コンピューティングとは文字通り「コンピュータがどこにでもある、ありふれた存在になる」という思想、あるいは予想である。

 ユビキタス・コンピューティングの概念は、元々、米ゼロックス・パロアルト研究所のマーク・ワイザー博士が1991年に発表した「21世紀のコンピュータ(Computer for the 21st Century)」の中で提唱された。その後、90年代後半のインターネット・ブームに乗って、ユビキタス・コンピューティングは単にIT業界にとどまらず、マスコミにも持てはやされ、一種の流行語にもなった。

 しかし、90年代終盤のユビキタス・ブームは時期尚早、はっきり言って「フライング」であった。当時、マスコミがユビキタス・コンピューティングの格好の事例として取り上げたのはインターネット機能の付いた白物家電、たとえば「インターネット冷蔵庫」のようなものであった。これは、切れてしまった食材を検知し、インターネット経由で自動的に注文する冷蔵庫である。こういったものは一部メーカーの試作機で終わり、現在に至るまで商品としては出回っていない。結局、この時代のユビキタス・コンピューティングは、メーカー側がいかにはやし立てても、我々一般消費者にとっては実感の伴わない、一過性のブームに終わった。

モバイル・コンピューティングはユビキタスへの一里塚

 しかし今回は、ユビキタス・コンピューティングが本物のトレンドとして現れてくる。それはステップ・バイ・ステップ、つまり段階を踏んでのプロセスだ。ワイザー氏の考えでは、コンピュータの利用形態は3段階を踏んで発展する。第1段階は1970年代までの、いわゆるメインフレームと呼ばれる大型コンピュータを多数のユーザーが共有して使っていた時代。第2段階は1980年代以降、1台のコンピュータつまりパソコンを一人が利用する時代。そして第3段階は一人のユーザーが多数のコンピュータを使う時代だ。

 その先には、様々な日用品や道具、装置、家電製品などがコンピュータ化するという状況、つまりコンピュータがあまりにもありふれて、人間の意識に上らない時代が到来する。言わば「見えないコンピュータの時代」だが、「それら(無数の見えないコンピュータ)が全て通信ネットワーク(インターネット)で結ばれる。そこにこそユビキタスの真価が発揮されるだろう」とワイザー氏は予言した。

 このユビキタス史観を現実のコンピュータ産業にあてはめてみると、現在はちょうど、パソコンという汎用機が無数のユビキタス・コンピュータへと分岐し始めた段階、つまり「幾つか」の種類(ノート型端末、Netbook、スマートフォン、MID、タブレット型端末など)に分かれ始めた段階と見ることができる。今、勃興しつつある「モバイル・コンピューティング」とは、もっと長い目で見ればユビキタス・コンピューティングへの一里塚と捉えることができるのだ。

 ユビキタス・コンピューティングのようにアカデミックな基礎研究の成果が、実際に産業界の製品として現れるまでには、かなり長い時間を要する。たとえば現在、我々が何気なく使っているパソコンやグラフィカル・ユーザー・インタフェース(GUI)などの基礎的な研究は、1960〜70年代にかけて米スタンフォード研究所やゼロックス・パロアルト研究所で行われ、そこではマウスやビットマップ・ディスプレイ、さらにはマルチ・ウィンドウなどが既に開発されていた(詳細は第2章を参照)。これらの研究成果が、最終的にアップル・コンピュータの初代「マッキントッシュ」という実際の製品へと結実し、普及への道を歩み始めたのは1984年である。つまり約20年の歳月を要したことになる。

 ワイザー氏が周囲の人たちに向かって「ユビキタス・コンピューティング」の思想を唱え始めたのは、上記論文を出すより3年前の1988年と言われる。それから約20年後の現在は、まさにユビキタス・コンピューティングがその片鱗を見せ始める時期と合致する。実際、「モバイル・コンピューティング」とその先に控える「ユビキタス・コンピューティング」に向かう流れは、既に産業界で見え始めている。

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