リクルートの創業者、江副浩正氏の生涯をたどったノンフィクションが売れている。ジャーナリストの大西康之氏が1月に上梓した『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業をつくった男』(東洋経済新報社)はすでに5万部を突破。オトバンクが運営するオーディオブック配信サービスの「audiobook.jp」でも好評を博している。
江副氏は政財界の大物20人が有罪となった「リクルート事件」の主犯として1989年に逮捕され、13年の裁判を経て有罪が確定。2013年2月に76歳で亡くなった。一方のリクルートは事件後も成長を持続。14年10月に東証1部上場を果たしたリクルートホールディングスの時価総額は、8月11日時点で9兆8467億円と国内6位の規模を誇る。
大西氏は本書で、江副氏の希代の起業家としての「大いなる成功」と、事件のてん末を含めた「大いなる失敗」を描いている。同時に、リクルートの成長の秘密にも迫り、コロナ禍で未来を切り開き、生き抜いていくためのヒントも提示する。『起業の天才!』のヒットの背景を、大西氏に聞いた。
『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業をつくった男』は470ページを超える厚い本で、定価は税別2000円と高価だ。それでも順調に増刷を重ねて、5万部を突破するベストセラーになっている。「面白すぎて、いっき読み」と帯に書かれている通り、臨場感と緊張感を持って描かれた江副氏の生涯が、まるでドラマを見ているかのように浮かび上がり、一気に読めてしまう。反響の大きさを大西氏は「予想以上だった」と感じている。
「よく売れたなと思っています。作っているときにも、この値段とこの厚さで売れるのだろうかと、ものすごく心配していましたから(笑)。一方で、今は分厚い『鈍器本』と呼ばれる本が結構売れていますよね。活字離れが進む中で、薄くて内容が浅い読みやすい本しか売れないのではなくて、読み応えのある本を求めてくれている読者がいたことはうれしいですね」
『起業の天才!』は、「リクルート事件」を知る世代だけでなく、20代や30代の若い世代にも読まれることで部数が伸びているという。ノンフィクションながら、ビジネス書がよく売れる書店で好調な売れ行きを示し、コロナ禍でテレワークが進み、人が少なくなっている都心のオフィス街でも良く売れている。
広く読まれているもう一つの要因は、オーディオブックで好評だったことだ。audiobook.jpを運営するオトバンクの久保田裕也社長は、6月18日に「『起業の天才!』信じられないほど聞かれています」とツイート。6月はランキング上位を維持していた。ノンフィクションの新しい読み手を開拓した作品といえる。
もちろん、支持されたのは内容だ。江副氏が1960年に23歳でリクルートの前身になる大学新聞広告社を創業し、以後、革新的なビジネスを生み出していく過程を詳細に追う。起業することが今よりも困難な時代に、既得権益を壊しながら新事業を次々と生み出した江副氏が、今の時代に受け入れられたのではないかと大西氏は分析する。
「僕らの時代は一度就職したらその会社で定年を迎えるイメージでした。でも、今の若い人は違いますよね。入社する時から辞めるタイミングを考えている。それに、終身雇用自体も無くなりつつあります。会社を辞めた後の選択肢には、転職もあれば、起業もある。今はサラリーマンだけど、起業してみたいと考えている人は多いのではないでしょうか。
インターネットの技術によって、今はビジネスを立ち上げることが極端に簡単になりました。AWS(アマゾンウェブサービス)などのクラウドサービスを使えば、人材を集めなくても会計や経理、税金処理などがネットで代替できます。そういう意味では、今はまさに起業の時代です。
大成功をしなくても、自分が食べていくだけなら困らないと言った人たちは、これからどんどん増えてくるでしょう。そこに『起業の天才!』というタイトルがうまく刺さったのだと思います」
本書では江副氏がリクルートの急成長を成し遂げた「大いなる成功」だけではなく、リクルート事件につながる「大いなる失敗」についても描き切っている。江副氏のドラマチックな人生を題材にした背景を大西氏は次のように説明する。
「戦後70年以上盤石に見えた、経団連を筆頭とするエスタブリッシュメントの世界や、エリートの世界が今揺れています。就職活動をしている学生も、働いている人たちも、自分たちの会社は大丈夫だろうかと、そこはかとない不安を抱いています。
江副さんは痛快なスター経営者であると同時に、光があって影があって、上りと下りを両方経験した経営者でもあります。この不安な時代に、江副さんをもう一回見直してみましょうというのが本書のメッセージです。このメッセージが読者に届いたのではないでしょうか」
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