大西氏は1988年に日本経済新聞社に入社。欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て、2016年に独立する。『起業の天才!』を着想したのは、日本経済新聞社に在籍していた頃だった。
「江副さんの本を書きたいと思ったのは、江副さんが2013年に亡くなった時からです。江副さんのお別れの会を取材して、江副さんやリクルートのことを調べ始めていくうちに、面白い人だと感じるようになりました。
私はやりたい放題やって、滑って転んで、あちこち擦りむきながら駆け抜けた人にひかれます。そういう人がどこかにいないかといつも探しています。江副さんはど派手に擦りむくと同時に、楽しそうに仕事をしていた人です。こんなに我慢して頑張りましたという人より、楽しそうに仕事をしている人の方が書いていて楽しいですね」
着想したのは江副氏が亡くなった時だが、大西氏には入社当時から少なからず江副氏やリクルートとの縁があった。入社した1988年、日本経済新聞社は当時社長だった森田康氏が「総合情報機関」路線を打ち出し、オンライン化とグローバル化にまい進していた。森田氏は江副氏の東大の先輩で、2人とも情報化社会の未来を見据えていたという。
「入社式の社長訓示は、『君たちが入社したのは経済を中心とした総合情報機関の日本経済新聞』であり、『これからはオンライン、データベース、グローバリゼーションに取り組む』といった話ばかりです。紙の新聞を売る話は出てきませんでした。新聞社に入ったつもりだったのに、何か間違えたかなと不安になりました(笑)」
ところが、この年の6月から始まったリクルート疑惑報道で、日本経済新聞社にも激震が走る。神奈川県川崎市がリクルートを誘致した際、川崎市の当時の助役(現在の副市長職)が、リクルートの子会社で不動産事業を手掛けるリクルートコスモスの株を上場前に購入。株式公開後に1億円の売却益を得ていた、と朝日新聞がスクープした。
さらに、上場前のリクルートコスモスの株は政界の実力者や秘書、財界関係者も購入していたことが次々と報じられる。その中に森田氏の名前もあった。森田氏は報道を受けて7月に辞任する。大西氏は当時の様子をこう振り返る。
「会社の中は蜂の巣をつついたような騒ぎでした。組合の集会では『許すな』と声を上げていて、私もよく分からないまま後ろで拳を振り上げていました。この問題で会社の景色は全く変わります。『やっぱり紙だ』と主張する人が主流になり、入社前にイメージしていた新聞社になりました。
しかし、あの事件がなければ、日本経済新聞社は今頃どうなっていただろうと思うことがあります。当時すでに総合情報機関としての未来が見えていましたから、ブルームバーグよりも進んだ会社になっていたのではないでしょうか。そういう意味でもリクルート事件を引き起こした江副さんとは個人的な縁があります。いつかは書きたいテーマでした」
江副氏は13年にわたって裁判を戦った。決着したのは2003年3月。懲役3年、執行猶予5年の有罪が確定する。そして2013年1月31日、盛岡から新幹線で東京駅に着いた直後、駅で転倒し後頭部を強打して、8日後に息を引き取る。享年74歳だった。
事件後に表舞台から去った江副氏が、不遇のうちに生涯を終えたのではないかと多くの人は想像するかもしれない。ところが、大西氏が取材を進めるうちに見えてきたのは、晩年まで精力的に仕事や株に取り組んでいた姿だという。
「江副さんは裁判が終わって、刑が確定した後もビジネスをしていました。最後に取り組んでいたのは外国人向けの家具付き賃貸マンションです。東京に来る外国人が増え、長期滞在のニーズが出てくると考えて、ヨーロッパやアメリカにあったVIP向けの家具付きマンションの展開を始めていました。インバウンドという言葉が生まれるはるか前です。亡くなっていなかったら、インバウンドで大もうけしていた可能性が高いです。
事件が起きた後には、リクルートが開発した岩手県の安比のスキー場に、冬季オリンピックを招致しようと動いた時期もあります。この招致合戦は西武グループに敗れて、長野オリンピックが開催されました。13年もの長い間裁判を戦いながら、活発にビジネスをしていたのは意外でした。最後まで希望を捨てていなかったのでしょう。
東京駅で倒れた時、乗っていた新幹線の網棚にボストンバックを忘れていました。その中に入っていたのは、百万円近い現金と会社四季報です。倒れる直前まで株に投資していました。おそらく最後まで人生を楽しんでいたのではないでしょうか」
江副氏がリクルートを創業し、新しい事業の開拓に力を注いできた過程は、「希望の物語」としても読める。先行きが見通せないコロナ禍を生き抜いていくためのヒントが詰まっていることも、本書がヒットしている要因と言えそうだ。
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